本因坊秀策揮毫の碁盤 江戸から因島に里帰り 秀策囲碁記念館で寄贈

お城碁十九連勝という幕末の天才棋士で後世になって「碁聖」と仰がれる尾道市因島外浦町出身の本因坊秀策が揮毫した碁盤が尾道市へ寄贈され因島の本因坊秀策囲碁記念館で贈呈式があった。

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加納尾道副市長右と島田夫妻


贈り主は因島にゆかりのある東京都足立区の整形外科医、島田忠彦さん(75)=本籍上弓削、アマ6段。妻の美紗子さん(67)=アマ初段は因島総合病院初代院長の田中猪太郎さん(故人)の縁続きの一族。叔父で恩師に当たる岡山大学医学部名誉教授の田中早苗さん(故人)が2人の仲人という関係もあって24年前に所蔵していた本因坊秀策揮毫の碁盤の処遇を委ねられた。

当時は秀策囲碁記念館もなく日本棋院に相談しようかと因島重井町の内科医田中種徳先生(故人)にも話を持ちかけたが高齢ということもあり、この話は頓挫していた。

2、3年前のこと、島田さんの知人の囲碁観戦記者の酒巻忠雄さん(69)=川崎市=に相談、古里の秀策記念館に里帰りさせるのが一番いいのではないかということになった。

この碁盤は秀策の甥にあたる桒原信司さん(故人)が1930(昭和5年)に作成した添え書きによれば三原城主浅野公が秀策に下賜されたもので「秀策没後、因島重井村里正(村長)村上八太郎勝延が、親姻の故を以って、請うてこれを蔵す…」とある。

その後、早苗先生の手に渡るまでの経緯については不明だが、現在、囲碁記念館に展示されている秀策母子愛用の碁盤裏側の「慎始、克終、視明、無感」の揮毫年月が同じで奇遇。

争先 国手

決勝 神機

安政四丁巳初秋

十四世本因坊跡目秀策印

と、座右の銘を記している。関係者にとっては、よくぞ戻って来てくれたものぞ―と、感慨ひとしお。

贈呈式は5月28日、大雨の中、島田夫妻と24世本因坊石田秀芳九段、加納彰副市長、髙本訓司副議長、半田光行教育長に囲碁のまちづくり推進協議会、華女の会、囲碁協会員ら関係者が参加、久しぶりに記念館内ははなやいだ。

 

傍目八目

先週号では嘉永7年11月23日附(1854年)で本因坊秀策が江戸から郷里尾道港橋本吉兵衛にあてた手紙の中に東海中仙の両道大地震と津波のようすを書いた。折りしも尾道市因島外浦町の秀策生誕の地にある本因坊秀策囲碁記念館では東京の整形外科医、島田忠彦さんから三原城主浅野公が秀策に下さった碁盤に座右の銘を揮毫した逸品の贈呈式が行なわれていた。

この碁盤の話は、桒原家の本家筋で秀策の遺品を一般に公開した因島石切宮初代宮司桒原八千夫先生や秀策研究家で「碁聖本因坊秀策」を出筆された樫本清人先生(両人とも故人)からも聞いたことがなかった。しかも、家族の添え書きによると秀策の姪に政代という人物が登場、因島重井村長の村上八太郎勝延に嫁いだ事が縁になり、秀策死後、この碁盤を蔵したとある由緒が見つかった。

それがどうした縁で重井村に在住したことのある岡大医学部名誉教授田中早苗さん(故人)を経由して里帰りしたのか、よくよく運の強い碁盤である。

(村上幹郎)

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