因島にて…Ⅱ 地域から見えるもの【1】東日本大震災

 多くの人がそうであったかもしれないが、3・11東日本大震災によって私のすべてが変わってしまったようだ。突然の災禍の知らせに何もできないことを痛感するとともに、生起しているすべを直視し、つかみとろうと決心した。それ以来できうるかぎりの方法で事態の推移を理解しようと努力している。


 直後は打ちのめされ、茫然自失の状態であった。その理由は自覚できた。地震・津波・原発、そのすべてが私の生活と意識の外のことで、ほとんど無防備の私に襲いかかってきたからだ。
 世界有数の地震大国に生まれ、住んでいるという実感などほとんどなかった。津波ははるか遠くのことで、せいぜい台風時の高潮を心配するぐらいだった。原発の危険性は知りつつも、指摘されつづけていたような事故が現実に起きてしまうとは、想像だにできなかった。あらゆる報道にくらいつき、数種類の新聞をむさぼり読んだ。やがて徐々にではあるが、思考力が回復してきた。
 東京と群馬県上野村との往復生活をつづけ、その村では畑を耕し、森を散策しながら暮らしているという哲学者・内山節氏は、図書新聞3014号に寄稿し、次のように述べている。
―地震や津波は自然にとっては災害ではなかったということである。自然はこのような出来事をも飲み込みながら自分たちの永遠の世界を展開させる。とすると、この社会は自然と人間の関係を基盤にして成り立っているという立場にたつなら、人間にとってのみ災害であるということをどう捉えたらよいか。おそらくこの課題に折り合いをつけられる思想を獲得しないかぎり、自然と人間が共生する社会はあり得ないだろう。
 そしてこのような視点にたつなら、人間にとってだけではなく自然にとっても災害である原発事故は許し難い暴力だということになる。
 確かに地震も津波も地球にとっては自然の営みにすぎない。もともと大津波がやってきたところまでが海なのだ。ということは、われわれ人間は、いつのまにか海の領域に住み、生活や生産をつづけていたのだ。長い歴史のなかで繰り返されてきた災厄の数々を忘れることで、安心と安全を信じてきたのだ。
 原発事故はまったくの不意打ちだった。水素爆発をテレビ映像で目撃したときには、身体の中心で何かが弾けた。出演する学者や専門家たちの話のすべてがうつろに聞こえた。「安全神話」を演出してきたかれらが、それが崩壊したのにもかかわらず、「科学」や「専門知識」の信頼性こそが瓦解したにもかかわらず、「安全」を叫んでいた。その姿は滑稽ですらあった。
 私は素朴な疑問を感じた。福島第一原子力発電所の事故として生起した原発事故は、果たして収束できるものなのか。何をもって「収束」と言うのだろう。原発事故とは「収束しえぬ事故」であるからこそ、真の意味で深刻なのではないだろうか。そればかりか、第二、第三のフクシマが起きないと誰が断言できよう。
 誰もが感じているように東日本大震災は、他人事ではない。被災し、今なお被災しつづけている人たちのことを忘れて、生きていくことはできない。さらに今回の、大地震、大津波、原発事故が同時発生する多重の災害は、いつ、どこでも起こりうることなのだろう。
 だとするならば、そうしたことを前提に自らの意識と生活のあり方を根本的に組み替えていくことが求められている。地球はまさしく生きており、その活動のなかで生かされていることを片ときも忘れることなく、力強く生きていかねばと思う。
(青木忠)

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