博愛幼稚園100周年 島あげての記念式典 新垣さんが祝福の歌声

瀬戸田町の学校法人・博愛学園「博愛幼稚園」(杉野徹理事長、角野裕三園長)が今年で100周年を迎える。博愛幼稚園創立100周年記念実行委員会は20日(土)、記念行事を行なう。

博愛幼稚園の卒園生は平成17年度で3689人。同窓生は生口島内外で活躍している。したがって博愛幼稚園100年の歴史は同時に、生口島の100年でもあり、その記念式典は島をあげた記念行事になろうとしている。

午前10時から、同幼稚園体育館で記念式典。瀬戸内海のキリスト教伝道船福音丸で牧師を務めた中本仁一さんが、説教「天国のこどもたち」を行なう。来賓として、仁田充俊県私学振興室主任主査、村上年久尾道市瀬戸田支所長、日本バプテスト同盟総主事らが出席する。

つづいて午後2時から、ベル・カントホールで、テノール歌手・新垣勉さんの記念コンサートが開かれ、祝福の歌声が響く。

テノール歌手・新垣勉さん

博愛幼稚園の歴史は、瀬戸内のキリスト教伝道師であるビッケル船長が1906年(明治39)、瀬戸田に博愛遊戯園を開設したことをもって始まった。これは瀬戸内における幼児教育の夜明けであった。

この息吹は重井、三庄、田熊の私立幼稚園開設へとひろがり、土生町における公立幼稚園設立にもつながっていった。

角野裕三園長インタビュー

―ビッケル船長の業績についてどう思われますか。

生口島にも神の愛に包まれた子どもたちが育つようにと、子どもたちの施設を最初に考え、呼びかけたのは福音丸のビッケル船長でした。これが博愛幼稚園の発端でした。そして瀬戸田につづいて、因島三庄、重井、田熊、遠く周防大島の安下庄にも同じく遊戯園が誕生しました。

―苦労があったでしょうね。

キリスト教のいまだ伝えられていないところへ敢えて伝えに行くという困難な道を選ばれました。抵抗にも会いました。開拓者精神、スピリットです。なかでも一番苦労したのは船員の教育でした。全員日本人の船員をまとめるのが大変でした。言葉、生活習慣が違い、船員の個性がそれぞれありました。船長は50歳7カ月で神のもとにめされました。こうした日々が心労となり、過労となっていったのでしょう。

―船長の後継者がおられたそうですが。

博愛幼稚園の歴史を思う時、川本キヨコ園長のことは多くの卒園生の心に残っています。同時に、川本先生を支えた実に多くの人々がおられたことでしょう。婦人伝道師でもあった川本先生は60年もの間、生涯を保育事業に捧げられた。この川本先生を支えつづけたのが杉野唯三理事長でした。そして保護者会、母の会、後援会が支えてくれました。幼稚園は一貫してキリスト教会に支えられてきましたし、幼稚園が教会を元気づけてきました。

―百周年記念行事は非常に盛り上がっていますね。

そのように見えますか。保護者会のご協力あってのことです。どのように百周年を記念するか議論がされました。百年つづいて島にはたくさんの同窓生がいる、島全体に呼びかけ島をあげた行事として行なおうということになりました。次のステップのための出発点としての式典です。

―博愛幼稚園の今後についてどう思われますか。

幼稚園にとってきびしい時代ではありますが保育環境が整備され、すばらしい先生がいて、教会とのコンビがあれば、博愛幼稚園はこれからもつづいていくと思います。

最後に角野園長は聖書から次の言葉を引用した。

―しかし、イエスは乳飲み子たちを呼び寄せられて言われた。子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできない。(ルカによる福音書18章16、17節)

(青木忠)

傍目八目

明治の夜明けにアメリカからキリスト教伝道師ビッケル船長が来日。「福音丸(ふくいんまる)」というヨットで瀬戸内海の島々を伝道、幼児教育施設の必要性を感じた。そして最初に設立されたのが瀬戸田の遊戯園だった。「一粒(いちりゅう)の麦」の芽生えが今年で100周年を迎え、20日には学校法人博愛幼稚園で記念式典がある。

なぜ、瀬戸田なのかという問いかけに―生口島は奈良朝から平安初期にかけて遣唐使の寄港地でもあり、古くから人や文化の交流で開けていたから―と、曖昧な答えにとどめている。ビッケル船長が瀬戸田を母港にしたのもそうした理由からではなかろうか。

クリスチャンだった亡き母から聞いた話だが、弓削商船学校の校長をはじめ生徒までがビッケル船長の説教に心酔して日曜日ごとに朝早く暗いうちからカッターを漕いで瀬戸田の礼拝所に通っていたという。そのころのカッターが同校の艇庫に保存されているのを見たとき神の奇蹟をほうふつと感じた記憶は生々しい。

(村上幹郎)

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