因島にて… つかみかけた確信【63】

63時代遺跡の島(14)
因島捕虜収容所(12) これまで、著者が捕虜として因島に連れてこられ、福岡県宮田で解放されるまでを見てきた。その3年半におよぶ捕虜生活のなかで著者にとって忘れられないのは、仇名”ジョージ”と呼ばれた日本人監視兵との交流ではなかろうか。それはまるで、敵味方をこえた友情の芽生えを想起させる。


 ジョージの実名は記されていないが、著者の人物描写から判断して、かれは因島のどこかの村落に住んでいたようだ。そのように考えるとこの著作は、当時の因島に住む人間について書いた、極めて珍しい作品と言えよう。一監視兵にすぎないジョージを頻繁に登場させ、彼のために相当のページをさいている。

―そのうちの一人は”ジョージ”という名の男で、支那事変に従軍したとき片腕をなくしてしまっていた。もう一人の男は、シンガポール攻略のとき英軍がシンガポールとジョホールの間の狭い海峡へ石油に火をつけて流したのにやられ、顔の側面全部にひどい火傷を負っていた。彼はそのぞっとするような容貌から”焼け耳”と仇名をつけられたが、この仇名は、彼の穏健な性格にはそぐわなかった。当然のことかも知れないが、いろいろ辛い目に遭ったことのある連中のほうが、そうでない連中よりも、捕虜に対してより同情的であると思った。

 著者は、わずかに覚えた日本語を使い、所内や造船所へ往復する途中でも、ことあるごとにジョージに話しかけ、日本語の会話を習いたいと持ちかけた。ローマ字化された日本語を習いたいと、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が、ローマ字で多くの作品を書いた、と説明した。ジョージはすぐに了解し、辞書と文法書をもってきた。
 ジョージは個人的なことも著者に隠さず話した。著者を娯しませようと、芸者との夜遊びのことをことこまかく披露したという。それに対して著者は、「私たち捕虜のあいだでは、セックスの話は出たためしがない。いずれにせよ、われわれには興味がなかったのである。食物のことばかりが念頭にあった。」と、コメントしている。
 捕虜の監視兵を志願したこと、自分の家族や収入のことなども詳しく語って聞かせた。妻が妊娠し、男子が生まれることを待ち望んでいたが、女の子が生まれ落胆したなどとも記されている。
 ジョージとの作業外出を「遠足」と表現し、楽しみにしていたようだ。炊事場に溢れる蝿を防ぐ竹のすだれ作りのための竹取り作業について、二ページ近くもさいている。収容所の菜園にたまたま二人で行ったときには、著者の夏痩せを心配したジョージが、襦袢の下から”ビールゥ”を一本とりだし、いっしょに飲んだ。
 片腕を失ったいきさつが詳細に記述されている。それは騎兵として出征したときのことで、中国軍の拠点を攻撃中、砲弾の破片で馬が転倒し、左腕が肘の上から完全にもぎとられてしまった。また細かい破片が、腓(ふくらはぎ)、右腕、頭の側面にもくいこんだ。軍医に手の施しようがないと見放されたが、十八カ月の入院生活ののちに、奇跡的に回復した。
 しかし、さらにジョージを悲しませることがつづいた。片腕がないことをからかわれたのだ。「彼は銭湯に行く気になれない。息子が学校で友だちから嘲られ、なぶりものにされはしないかと怖れるのである。」。

―なぜジョージが私といっしょだと愉しいかが、やっとその時わかった。私たちは二人とも、ある意味で、社会の除け者だったのである。

 二人の別れのときがきた。著者の善通寺行きの前に、ジョージは収容所をやめたのだ。
(青木忠)

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