北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【7】

カナダの両親と再会

日本に残されたという父母への恨みと慕う心を押えながらの6年余はキミコの幼少期に”忍耐”という精神力を培われた。


子どもの頃から大人の顔色をうかがいながら15歳になったキミコは普通の年齢よりも大人びていた。両親との再会の喜びは当然のことだったが6年間も通信が途絶えていたのでカルチャーショックも大きかった。まずカナダに戻ってみると母はビクター・マサトシという男の子を産んでいた。これで岡野ファミリーは6人家族になったわけです。

その次の出来事は物心がついた幼少期に日本の因島田熊村で約7年間、育てられてきたので日本人以外とは言葉が全く通じなかった。幼少女期の日本語に悩まされ、母国のカナダに戻ってからは英語の辞書を片時もはなせない生活が始まった。

だが、不自由な言葉よりも家族と一緒の生活に満たされたキミコとサヨコは両親が漁に出ている間の家事や妹弟の世話をすることに幸せを感じていた。

そして、その頃には岡野家は5隻の釣り船を所有し、経済的にもかなり余裕が出てくるまでになっていました。しかしながら、日系カナダ人の漁師たちの成功を心よく思っていなかった白人や地元漁師、移民漁師との間でうっせきした憤りが表面化、ついには水産省、漁協が日系カナダ人たちの漁業免許を剥奪しはじめました。そこで1919年12月、キミコたちの両親はソルトスプリング島のシャープロードにある50エーカー(約20町歩)の土地を購入するため3隻の釣り船を売却することを決心します。

岡野家族が釣り船3隻を売却して手に入れた家屋と農場(1920年/大正9年1月)

写真は岡野家族が釣り船3隻を売却して手に入れた家屋と農場(1920年/大正9年1月)。Salt Spring Island Archivesより

(庚午一生)

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