北米紙幣になった日本女性 因島出身キミコオカノムラカミ 激動の時代乗り越えた移民家族【3】

彼女の晩年は、カナダの前ブリティッシュコロンビア州知事だったWACベネット氏や放送界の伝説的人物ジャックウェブスター氏の友人でした。彼らはキミコを高く評価していたこともあって両氏は定期的にソルトスプリング島の自宅を訪れて助言を求めるほどの仲でした。オタワにある国営公文書保管所にはキミコの肖像写真が掲げられ、チャンネルMの新しいドキュメンタリー番組の中で彼女が取材対象として取り上げられることになっています。


5歳で漁船を操縦

キミコが生まれたのは1904年(明治43年)日本人移住者のもとに生まれたとあるから日系二世である。幼い頃から開拓精神的な強さと独立心の強さを養われた。こんなエピソードが残っている。

5歳のときには、すでにバンクーバーのウォーターストリート麓(彼女の家族が漁業を営んでいた場所)からソルトスプリング島にある家まで帰る間、家族と交替して漁船を操縦していたそうです。そのほか父親が毎日時間通りに港へ漁船が着けられるように父親を起す役割も担当していました。さらに、驚くことには一家の家計のやりくりまでも任されて必要なとき必要なだけお金を渡すのは彼女の役目でした。

広島県因島田熊村から新天地開拓の夢を抱いてカナダへ移民したキミコの父クマノスケオカノと母リヨ、妹サヨコはヴェスヴィオスのダックベイという多くの日系カナダ人の家族が暮らしていたエリアの近くに住居を構えていました。そしてソルトスプリング島に外国人が定住した最初の人が日本人でした。1901年の国勢調査によると、当時、日本にルーツをもつ島民は59人いたようで、オカノ一家は生計を立てるための大きな釣り船を所有していました。

キミコが生まれたのが04年といえば、日清・日露戦争の激戦地だった満州の旅順要塞が陥落、翌05年1月には水師営の農家で日露の両将軍乃木とステッセルが会見、互いに健闘を讃えあった時代です。一方の地球の裏側の新大陸北アメリカは建国途上でした。

ソルトスプリング島

現在のソルトスプリング島はカナダ本土とバンクーバー島間に点在するガルフ諸島のなかで一番大きな、そして一番人気のある島で人口1万人の島に年間40―50万人の観光客が訪れています。車で30分ほど走れば島の端から端まで行けるほどの大きさで一周しても2時間ほど。美しい海に囲まれ森や牧草地として変化に富んだ景観と理想的な生活環境を楽しめるアートの島ともいわれています。

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