因島にて… つかみかけた確信【57】

時代遺跡の島(8)
因島捕虜収容所(6) 英軍捕虜たちは決して囚人ではなく軍人であった。難局を迎えても座して死を待つのではなく、実に賢明な方針のもとに自らを守ろうとした。著者は次のように記している。


―この収容所で私たちが試みたことは、日本人という素材を私たちの好みの鋳型に流し込むことであった。これにはある程度の成算があった。というのは、私たちには日本の捕虜として過ごした六カ月以上の体験があったからである。こちらは、すでに、日本人が何によって動かされるか、彼らの特性あるいは彼らの予測できない性格などについての知識を持っていたが、土生の日本兵たちにとっては、私たちは、まったくの未知数であった。
 因島収容所はできたばかりで、そこを支配する規則や先例がなかった。捕虜たちはその状況を利用して、可能な限り彼らにとって有利な秩序をつくるために努力した。そのために収容所の職員について分析し、それに基づいて対応を分けた。収容所の受け入れ態勢について、「愛きょうのある素人っぽさがあるように見えた」としたうえで、所長のN大尉については次のような評価を下した。

―やせて、過敏で、やや臆病な、私と同じ年輩の男だった。彼はわざとらしいぶっきら棒な態度で、その自信のなさをカバーしているようなところがあった。彼はいつも何をしたらよいのか、どのようにしたらよいのか、まったくわかっていないようであった。彼は、四国の小さな村の出身で、ヨーロッパ人というものを見るのは、私たちが初めてらしい。そのうえ、明らかに部隊の指揮をとった経験がなく、どう見てもサムライではなかった。

 捕虜のなかでは「微笑者(スマイラー)」という仇名がついた副所長のN軍曹はどうか。

―彼は、つねに正直で公平無私だった。性格はN所長より強く、正しいと信じたことを守るために、だれに対しても勇敢に立ち向かう―そんな一徹なところがあった。

 通訳のN兵長はすこぶる評判が悪かった。「英語を話す日本人が収容所長に、なるべく捕虜の不利になるような取次ぎをするのは、始めから分かりきったことなのだ。そういう点で通訳のおよぼす影響は、計り知れないものがある」と非難している。
 そのほかの大勢の監視兵は友好的で、実際いろいろと好意をよせてくれたという。そのなかでも「ジョージ」という仇名の監視兵との交流エピソードが頻繁にでてくる。しかし、衛生兵には手厳しかった。

―彼は土生の村の小さな薬局の店主で、毎朝早く軍服を着て収容所へ来る。しかし、かならずしも病人の治療に来たのではない。薬もヨードチンキ以外は何も持って来なかった。彼の役目といえば、赤痢と栄養失調で死にかかっている者が今日一日、造船所での重労働に適しているかどうかを決定することであった。(中略)実質的に意識不明ででもない限り、彼の判決は〝適している〟と下されることになっていた。

 著者は、「収容所の日本人が誰も彼も化物だったわけではない。うまく操縦すれば、(所長の)Nにせよ、他の者にせよ、ときには譲歩も取りつけられたのである」と、明言している。そして、こうした事情が日本語習得の動機のひとつであったと語っている。事実、短期間で驚異的な日本語の習熟をみせ、捕虜と収容所との通訳の役割りを果たすようになる。
 このようにみてくると、捕虜たちが単なる無抵抗な「囚人」ではなかったことが浮かびあがってくる。彼らは軍人として生きのびるために、「虐待」と執拗に闘っていたのではなかろうか。

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