ふるさとの史跡をたずねて【73】芋菓子元祖の碑(上島町岩城)


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芋菓子元祖の碑(上島町岩城)

芋菓子の話を書くのは、ついでである。しかし、ここで車を停めたのはついでではない。想定内の行動であった。岩城に行ったら、できたての芋菓子を買って帰らないとフェリー代がもったいない。それに岩城郷土館では只でいい物を見せてもらったのだから、少しは散財して帰らないと…。

芋菓子製造所の前で車を停めた。干拓地が広がる。その道端に芋菓子元祖の碑があった。岩城の芋菓子は長くて立派だが、長い歴史があった。

石碑で顕彰されている益田谷吉氏は船乗りとなって若い頃、阪神地方で働いた。神戸の果物問屋で芋菓子と出会い、岐阜市の製造元に製法を教えてもらいに行ったが、断られた。垣間見た概要を手掛かりに、神戸で試みるも、いいものはできなかった。岩城に帰ってからも研究を続け、満足なものが得られるようになった時には、五十歳を過ぎており、大正時代に入っていた。

益田氏はその秘法を独占せずに近隣の者にも伝授した。岩城の芋菓子として人気を呼び、全国はもとより戦時中は宇品から中国北部まで届けられた。製造業者が三十軒を超えた時もあったというから、その品質の良さが高く評価されたということであろう。

石碑には「芋菓子元祖 益田谷吉翁之碑」と書かれており、裏面には「益谷や初勢の音も千代八千代」「芋かしや益々のびる金の津る」などの句が記されていた。

(写真・文 柏原林造)