ふるさとの史跡をたずねて【64】村上家祖先之碑(因島大浜町)


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村上家祖先之碑(因島大浜町)

島四国七番十楽寺から八番熊谷寺までは、大楠山の西の峠道がかつての遍路道であった。四番の大日寺から見える山にも峠道がありそうなので、目指した。そこで出会ったのが写真のような村上家の祖先の碑であった。永正17年(1520)に亡くなった江羅太郎右衛門の名が刻んである。

村上丹後守吉房の次男大浜内記の話の続きを記そう。能島の村上武吉は後継者の元吉を伊予松前(まさき)城の戦いで失った。毛利氏の関ヶ原敗退後の防長移封で、因島村上氏が解体したのと同様に能島村上氏も四散した。元吉の墓を残して竹原を去った武吉に、大浜内記も従った。八代島(周防大島)で大浜内記は老役であったが相果て、村上休庵嫡子大浜九郎左衛門が跡目を相続した。

一方、大浜村初代庄屋の太郎右衛門は元和8年(1622)に亡くなっており、四代から六代までの庄屋が九郎右ヱ門である。そこで、次のように考えた。

この大浜内記跡目を相続した九郎左(右?)衛門が初代庄屋と同一人物だとすると、石碑にある遠祖の名を名乗り、四代から六代が初代の旧名を名乗ったことになる。

さて、石碑の背後にある峠道であるが、道とは言えないようなところを登って峠を越えると、ほどなく農道に出た。下ると鼠屋新開へ出た。思ったより近いのであるが、今では通る人はほとんどいないのだろう。

(写真・文 柏原林造)