因島にて… つかみかけた確信【47】

予期せぬ出会い(1)
 6月のことである。愛媛県新居浜市の文筆家の越智大円さんとの予期せぬ交流が始まった。ある方の紹介が発端であった。指定された番号に電話を入れると、予想もしない会話に発展した。


 越智さんは、太平洋戦争中に新居浜市にあった連合軍捕虜収容所の村上宅次大尉がBC級戦犯で絞首刑に処された事実をテーマに小説を書く準備に入っている、と告げた。大尉夫人は因島出身で、夫が処刑された後、実家に帰ったという。ついては協力願いたいという申し入れであった。私は非常に驚くとともに、即座に了解の返事をした。
 アメリカなど連合国は、第二次世界大戦において特定の地域で「通常の戦争犯罪」を行なった者をBC級戦犯として軍事裁判にかけた。「通常の戦争犯罪」とは、毒物兵器の使用禁止など陸戦の法規慣例に関する条約、捕虜の待遇に関するジュネーブ条約などの違反を指している。
 私は、地元の因島と向島にあった捕虜収容所の関係者がBC級戦犯として罰せられたことを知っていたが、まさか瀬戸内海を挟んだ四国の新居浜市で絞首刑を受けた軍人がいたとは知らなかった。
 福林徹氏の「日本国内の捕虜収容所」(「捕虜収容所補給作戦―B29部隊最後の作戦」)によると、「日本軍による日常的な暴力、逃亡捕虜の殺害、医療処置の欠如、食料の支給不足、赤十字救恤(きゅうじゅつ)品の横領などが罪に問われた」という。そして、全国のほとんどの捕虜収容所で戦犯者が出て、28人が処刑された。
 ところで私が強い関心をもったのは、極刑が下されたということだけではなく、越智さんの小説化の視点であった。日本における捕虜収容所の研究書は、そのほとんどが収容されていた捕虜の側に立ってなされたものである。ところが彼は、処刑された者の側に立って、村上宅次大尉とその夫人にこだわって描こうというのだ。この点に私は、問題意識の共通性を感ずるとともに、感動を覚えた。
 もともと戦犯裁判は、占領下において行なわれた軍事裁判であった。戦勝国の敗戦国に対する報復と制裁の性格が強いものであり、公平性の確保の点においても様々な問題をかかえていた。判決結果についても反論も批判も許されるはずもなく、しかも多くの国民は沈黙した。
 こうした背景もあり、BC級戦犯全般の実態調査はタブー視されていたのではないだろうか。その資料も、連合国側から提供されたものが大半であった。当然ながら、個々のBC級戦犯者に寄り添い、彼らに肉迫する調査結果は出ていないと思う。
 越智さんは、私の「調査が大変でしょう」という質問に対して、そのことを認めたうえで、調査した事実を文学作品として描いてみたい、と答えた。私とは異なる、その表現方法にも興味をひかれた。文学を手段にして表現しきることができれば、歴史的事実に迫れるのではないか、と期待感がわいた。
 しばらくして作品を相互に交換した。彼は、自らの高校時代を描いた「さらば愛光!松山日記」を送ってくれた。「愛光」とは、私立の名門進学校である愛光高校のことである。面白く読ませてもらった。経歴も載っていた。昭和21年新居浜市生まれ。愛光高校を経て大阪の追手門学院高校を卒業。慶応義塾大学法学部卒。昭和60年から執筆活動を始める、とあった。
 彼と私は同世代と言える。進んだ道は対照的である。越智さんは、ふたつの私立高校を経て私立大学の名門に進んだ。それに対して私は、公立高校から国立大である。本来なら交差するはずのないふたりである。戦争と戦後処理という共通した問題意識が両者を結びつけることになったのである。
 やがて文筆家・越智大円さんは、因島にやってきた。10月中旬のことである。
(青木忠)

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