碁打ち探訪今昔四方山話【8】アマ本因坊戦をめぐる(一)よきライバル菊池さん

どの世界でも一流になった人にはよきライバルがいたようです。囲碁の天才児と注目されていた因島出身の村上文祥さんも例外ではありませんでした。仕事上のライバルはさておき、趣味の囲碁仲間のライバルといえば大学時代に出会い社会人になってからも数々のタイトル戦を競った菊池康郎さんだった―と自他共に認めるでしょう。


菊池さんは東京・大田区蒲田で昭和4年(1929)生まれというから81歳。文祥さんの3学年年上になる。3歳のころに囲碁好きの父の影響で碁石になじみ、やがて碁会所の人気者となって有段者の相手ができるまでに上達しました。そして高輪中学時代に横浜市中山に疎開。相原忍三段や伊藤友恵、小泉重郎らの指導を受け腕を磨きました。戦時下で囲碁三昧という生活を送っていたというから運のいい人です。

専修大学に入学したが囲碁部はありません。しかし、1948年全日本アマチュア選手権戦(アマ本因坊の前進)で神奈川県予選に優勝。東日本大会に進みベスト4入りして注目されました。雑誌「囲碁春秋」「囲碁の友」などプロ棋士との対局が企画され、50年「囲碁春秋」では炭野武司六段に二子、先番で連勝。51年に関東大学囲碁リーグ戦出場のため専修大学四年生のとき囲碁部を創設、第1回リーグ戦の最終戦で早稲田大学一年生の村上文祥を破り11連勝で個人優勝するなど学生碁界で活躍。この頃から菊池―村上のライバル対決がはじまりました。

菊池康郎さん 菊池さん=写真=は52―53年の「囲碁」誌のプロ・アマ二子局でトップ・プロを相手に9連勝。プロがアマチュアに二子で負けるわけがないと言う当時の常識を覆しました。こうした実績などからプロ入りを勧められますが、大学卒業後は八幡製鉄(現新日鉄)に入社。55年の第1回アマ本因坊戦は仕事のため欠場。第2回は四位。57年第3回に優勝、以後3連覇。その後計13回優勝。村上文祥、平田博則、原田実と並んでアマ四強と称され、プロ棋士からもプロ六、七段で打てると評価されていました。

1956年の「娯楽よみうり」誌の勝ち抜き戦ではプロ棋士の当時初段だった大竹英雄(現名誉碁聖)に勝ち、続いて工藤紀夫二段に敗れるまで27連勝。92年には世界アマ囲碁選手権優勝。この間75年にアマ研究会「緑星会」を再設立。79年には子どものための囲碁教室「緑青囲碁学園」へと発展させ多くの有望な子どもを育成。村松竜一をはじめ山下敬吾などプロ棋士を送り出し、日中囲碁交流のほか韓国との積極的な交流に貢献してきました。

(庚午一生)

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