因島にて… つかみかけた確信【46】

ある決心(4)
 全国空襲被害者連絡協議会から結成集会後まもなく、大きな角封筒が届いた。会則、アピール、数種類の新聞コピーが収められていた。出席していない私は丁寧に目を通した。そして、呼びかけに応えて加入し、この団体とともに進んで行こうと決心した。


 会則には会の目的が次のように掲げられている。

  1. 民間空襲被害者を救済、補償する「空襲被害者等援護法」の制定をめざす。
  2. 空襲死者の氏名記録と追悼、空襲の実相の記録、継承など空襲被害者の人間回復をめざし、政府に空襲被害者への真摯な謝罪を求める。
  3. 戦争の惨禍を繰返さぬために核兵器の廃絶など各種平和運動に参加する。

 全国空襲連・運営委員長になった東京大空襲訴訟原告団の星野弘団長は「残された時間が少ない全国の被害者が、共通目標のために手を携えることは急務。遺族会のない地方の空襲の被害者にも参加を呼びかけたい」と、新聞紙上で語っている。さらに「全国空襲被害者の皆さんへ」という文章で次のように述べている。
 ―あの忌わしい大空襲と原爆投下、第二次大戦の終結から半世紀を超えた今、両親を失い、機銃掃射、直撃、爆風などにより障害を受け、心身に痛み苦しみを背負いながら、社会の偏見もあり、地を這うように生きてきた被害者を救う、この救済は我々自身の運動によって初めて達成できることです。政権が代わり以前より反応は良くなっていますが、我々は弱者切り捨ての受忍論を政府に改めさせなくてはなりません。
 こうした空襲被害者の悲痛な訴えを理解できるようになったのは、私が自らの空襲体験の調査をすすめてきたからであろう。とりわけ身内から東京大空襲体験を聞いたことが、転機となった。太平洋戦争末期に全国のいたるところが無差別の空襲をうけ、数十万の人たちが犠牲になった歴史的事実が、身近な問題として迫ってきたのである。
 つい最近、義姉から手紙が届き、東京大空襲で家族が亡くなったいっそう正確な事実が分った。
 実は父は、仕事で別のところにいたのではなく家族と一緒にいて、妻とふたりの娘を先に逃がせた。妻は、金庫のなかの重要書類と金銭を腹に巻いていた。父は水につけた布団をかぶって十三間通り(現在の蔵前通り)の真中で動かず、火の消えるのを待った。周りは火の海だった。妻とふたりの娘はきっと亀戸駅方向へ向かい、途中で火にまかれたのであろう。父は行方不明の家族を探して、焼け跡を歩いた。妻は金歯を入れていた。黒こげになった死体の口をあけながらである。
 集団疎開先の山形から10月に帰京した末妹らは、亀戸駅で解散した。駅のガード下のコンクリートには、ひとの形の焼け焦げた跡が残っており、見渡すかぎり何もない景色だった。
 全国空襲連結成を中心で担った人たちは、私より年輩者である。どのような心情で戦後史を生きてきたのか、それを自らの問題として受けとめようと思った。国が無神経にも提示した「すべての国民が戦争の損害をひとしく受忍しなければならない」という戦争損害受忍論が、どれほど空襲被害者を傷つけ、苦しめてきたのか。
 生まれ故郷の空襲調査の過程で、空襲の犠牲者がいかに放置されたままになっているのか知った。そればかりか、郷土史のなかからもその事実が抹殺されていることをつかんだ。あったことが、なかったことにされていたのである。私の故郷だけの特別な事例かと思ったが、どうもそうではなさそうである。全国各地の空襲の調査結果は、個人の献身的努力の成果に過ぎず、正確な実態はほとんど分かっていないのではなかろうか。
(青木忠)

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