碁打ち探訪今昔四方山話【7】故郷に錦飾った文祥さん 囲碁を通し因島に貢献

 故郷のヒナ壇でスポットをあびたのは地元土生町出身の文祥さん。国際アマトップグループの実績を持っての村上文祥6段の登壇だった。大盤解説者の竜騎兵と聞き手側に立つ文祥さんのやりとりも参加者をよろこばせました。何しろ大学卒業後1955年荏原製作所に入社。1960年にはアマ本因坊戦で優勝。翌年プロ本因坊高川秀格とのテレビ初の囲碁対局放送では二子で中押勝。その後数々のアマ棋戦で優勝。アマ四強の一角を占めました。1963年の日中囲碁交流訪中団代表として出場、6勝4敗1ジゴ。1979年、第1回世界アマチュア囲碁選手権の日本代表となるなどの実績を背負っての故郷へ錦を飾りました。


 閑話休題 なにからなにまで気遣ったビッグタイトル戦。スタッフの中でひときわ目を引いたのが当時二段の女流棋士小川誠子さん。対局の時計係で来訪したわけだが、棋院の方からそれとなく「指導碁」を耳打ちされた。強いだけでなく”品格”のある打ち手で、それなりの謝礼金が出せる人を選んでほしいという申し出である。いざとなるとおいそれと見当たらないものである。島内の碁打ち衆が鳩首会談の末、白羽の矢を立てたのが重井町の医師田中種範先生(アマ5段、故人)だった。
 田中先生は孫娘のような小川女流棋士に四子で打ち切り2目負け。「上手に打っていただいた」と、負けてすがすがしい表情で小川棋士の戦評にうなずいていたのが印象に残っている。
 この年の名人戦は趙さんのタイトル奪取で終っているが、因島出身で幕末の天才棋士第十四世本因坊跡目秀策の知名度は―というと、一般的には知らない人の方が多かった。秀策生誕の地である因島外浦町石切風切宮で1982年8月10日、秀策百二十回忌祭を顕彰碑前で行われた時も関係者数十人が参加しただけで囲碁文化への道のりは遠くに見えた。だが、市制30周年の記念事業が起爆剤となり囲碁が「まちおこしの市技」へと発展しました。
 囲碁協会の泣きどころだった女性と若者たちの囲碁離れに「誘い水」となったのが少年ジャンプの「ヒカルの碁」でした。一躍有名になった秀策を慕い全国の少年囲碁ファンが因島の生地を訪れるようになりました。背中を押されるように因島市は本因坊秀策囲碁記念館建設計画を急ぎ、尾道市への平成の合併条件も追い風になって2008年、念願の記念館がオープン。今年10月6・7日には女流アマ囲碁都市対抗戦に全国から700人の女性アマ棋士が尾道市に集り、秀策を偲ぶよすがになったようです。こうした土俵づくりに文祥さんの力があったことはいうまでもありません。
(庚午一生)

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