碁打ち探訪今昔四方山話【6】因島市制30周年事業 ビッグタイトル戦を実施

 戦後の市町村合併特例法に飛び乗って御調郡(みつぎぐん)から抜け出し因島7ヵ町村が合併して因島市が誕生したのは昭和27年(1952)。全国で数ある島の中で「1島1市」が誕生したのは初めてのことでした。人口4万人足らずの小さい地方都市は7ヵ町村がそれぞれの文化風習を継承、小中学校の維持管理だけでも財政の重荷になるのは当然のことでした。それに加え児童生徒の急増期を迎え、基幹産業の造船業界はバブル期から第一次オイルショックを受けるという荒波の中での市制30周年を迎えたときのことです。


 たまたま当時の楠見昭二因島市長が朝日新聞販売店だったこともあって朝日新聞社主催の囲碁タイトル戦「名人戦」の誘致を思いついた。ところが、囲碁の盛んな島しょ部だがプロのタイトル戦がどんなものか。記念事業としての評価、まち起しの効果にどうつなげるのか―など未知数でした。なにはともあれ、先立つものは金―。
 思案投げ首の立案者の背中を押したのが因島商工会議所会頭でホテル臨海(後のシーサイドホテルから老人施設花園)の当時、社長の中村茂さんでした。
 日本棋院の関係者と相談しながらホテルの一部を改装して対局場を新設しようという申し出である。客室を改装、天井にテレビ用のカメラを設置、床間の掛け軸、棋士の食事、デザートまで下調べ。当時、ホテルの支配人だった赤瀬訓三さんは、対局棋士の趙治勲氏がラーメンが好きだと聞いてホテルのメニューにないので土生町宇和部の竹下食堂に用意させる一幕も。このほか趙さんに変ったクセがありました。対局中にマッチの軸を折りながら沈黙思考するそうです。ホテルのマッチでは足らんだろうと赤瀬支配人は333の大箱マッチを探し求めて用意するなど多くのエピソードが残っています。こうして準備万端整い昭和58年(1983)9月21日大竹英雄(現名誉碁聖)対趙治勲(現25世本因坊)名人戦が始まりました。
 前夜祭のことです。高速船で土生港に降り立った大竹九段は迎えに出た因島の関係者を振り切って外浦町の十四世本因坊跡目秀策の墓参をすませてホテル臨海の会場へ。関係者は前夜祭のレセプションをキャンセルされたのかと思い、一時動転したが、大竹九段は「因島に来たからには、まずもって秀策先生にごあいさつをしなければ…」と屈託ない。レセプションのあいさつでもこのことを報告「明日の対局は秀策流で打とうかな―」と、ジョークのような本気にもとれる会話が交わされた。
このスピーチから本因坊秀策がいかに偉大な棋士であったことかを地元民が認識するありさまでした。
故郷のヒナ壇でスポットをあびたのは地元土生町出身の文祥さん。兄は対岸の生名村の村長。弟は当時、日立造船マンであり因島を代表するアマ6段で駅伝ランナーとしても知名度が高かった。それ以上に国際アマトップグループの実績を持っての村上文祥6段の登壇だった。大盤解説者の龍騎兵と聞き手側に立つ文祥さんのやりとりも参加者をよろこばせました。
(庚午一生)

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