因島にて… つかみかけた確信【42】

戦後65年―因島の秋(4)
 毎年8月と9月ころになると私は体調を乱すのだが、今年は特別のようだ。Uターンして19年間の疲れがまとめて噴出したような気がした。生まれ故郷で過ごしてきたこの間のありようでは、歯が立たないほどの高い壁にぶつかったような、力の限界を感じた。入院して休みたいとも思ったが、そうもいかないので自宅で気ままに療養することにした。


 昨今の私の1年間には、ひとつの流れができていた。夏の空襲記念日と冬のはっさくの収穫という、ふたつの大きな山場があり、それをやりきって1年を過ごしてきた。そしてそれらの間に休養期間をもうけ、根つめた作業で溜まった疲労を癒すとともに気分転換をはかってきた。その期間は、休止できない基本業務である執筆活動と学習塾に仕事を限ってきた。
 しかし今年は、このペースを大きく変えようとした。その理由は明確である。調査をつづけてきた因島空襲を歴史的事実として日本と世界に向かって明らかにし、瀬戸内海の島から平和をアピールしようとしたからである。これは容易な作業ではなく、私自身にも大きな飛躍と自己変革を求めたのである。
 全国や世界に働きかける力の源泉をどこに求めたらよいのだろか、必死に探った。そしてようやく、それが自分の歩んだ人生のなかにあることを発見した。いかなる時も内面でうずく信念と情念に忠実であろうとした、その一貫性にこそ着目すべきだったのだ。そのことを誇り、そのことに自信を深めてよかったのだ。
 戦争の時代に生まれ、空襲に見舞われた結果、私の人生は決まってしまったのである。人生のすべての営為は、生後9カ月での空襲体験に決着をつけることに費やされてきたと言いうるのである。そのような解釈にたてば、私の人生選択の場になった広島大学への進学は、きっと自ら望んだ道だったのであろう。そこで私は、「空襲の子」としての青春に目覚め、思う存分にそれを爆発させるチャンスを得たのだ。私の空襲体験が、私のヒロシマへの反応と怒りを特別なものにしたに違いない。
 やがて想いと行動は、広島大学の枠を越えて、首都東京に向かった。そこで、戦争と反動への転換をとげようとする時代と格闘し、新しい時代の創造に突進した。そしてさらに、自らの思想と行動の正当性をめぐって、国家と21年間にわたって争った。激動につぐ激動の東京時代こそ私を成長させ、本物の力を与えた。人生で必要なほとんどのものを獲得しえたと言えるだろう。
 そして現在、生まれ故郷において「空襲の子」として人生をまっとうしようとしているのである。わが故里は、太平洋戦争の戦場であったのだ。そこで生をうけ、辛うじて生き抜いてきた者が、この地で何をなしうるか、最後の課題に直面しているのである。
 今年1月、本の批評専門誌である「図書新聞」に請われて、「60年代・70年代を検証する」という連載のためのロングインタビューに応じた。そのなかで、学生運動と破防法裁判を中心にしながら自らの過去と現在を語った。当初はためらったが、その時代の中心にいた私が語らなければ、核心的な部分が闇のなかに葬り去られてしまうのでないか、と思いなおし、設定された質問にたいして赤裸々に答えた。
 読み直してみても、修正すべきところは何ひとつもない。最近、このインタビューへの反応が寄せられるようになった。私のひとつの作品だと評価して良いだろう。
 ひとつの結論にたどりついたようだ。自らの人生の歩みを首尾一貫したものとしてとらえ直し、それを土台に前進して行けば良いのだ。何ひとつ悔いのない、自ら望んだ生き様であった。肝心なことは、それを最後まで貫きとおすことである。
(青木忠)

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