因島にて… つかみかけた確信【41】

戦後65年―因島の秋(3)
 9月初旬に東京に向かい、大学時代の友人との四十数年ぶりの再会を果たしたのだが、翌日JR福山駅に戻ってきたころ自らの体調の異変に気付いた。ただただすべてのことを忘れて眠りたかった。今年は途中で倒れても突っ走ると覚悟をしていたので悔いはなかった。むしろ心身ともリセットするチャンスだと思い、しばらくの間、気ままに過ごすことにしている。


 動きを止めた私に気付いたAさんが心配したのか、ひとつの詩と一冊の書籍を届けてくれて、必ず読むようにと薦めた。この方は世代的に私よりはるかに若いのだが、私の学生運動の経歴に強い興味を示してくれ、その切り口から私を励ましてくれているのである。
 ひとつの詩とは、インドの独立運動を指導したマハトマ・ガンジーのものである。

―束縛があるからこそ
 私は飛べるのだ
 悲しみがあるからこそ
 私は高く舞い上がれるのだ
 逆境があるからこそ
 私は走れるのだ
 涙があるからこそ
 私は前にすすめるのだ

 私は初めてガンジーの詩を読んだ。Aさんが勧めてくれた書籍は、「二十歳の原点」(高野悦子著、新潮社)である。
 朝日新聞のシリーズ「ニッポン 人・脈・記」―反逆の時を生きて①(2009年6月20日)でもとりあげている。この本が出たのは1971年の5月のことで350万部を突破するロングセラーとなり、新装版が昨年、出版されるにいたった。
 著者の高野悦子さんは1969年6月24日、立命館大学3年生のとき、京都で鉄道自殺をとげた。彼女は大学ノートに日記を記していた。そのうちの1969年1月2日から同年の6月22日までのものが、「二十歳の原点」として新潮社から出版された。
 1949年に生まれた高野さんは、1967年に志望して立命館大文学部史学科に入学した。日記には、大学闘争や沖縄・安保闘争の渦中で揺れ動く内面が、あふれんばかりに刻みこまれている。四年ほど私の方が大学への入学が早いが、同時代を生きたためか、ドキリとする内容が、随所に見られる。例えば彼女は、自分の選択した大学を次のように断罪している。

 ―…大教室ではマイクを片手にした教師が、彼の学問とやらをパクパクとしゃべっている。五月の頃になると大教室での学生は、あの広い空間にポツンポツンと…坐っている。…そこの一番前にいる奴は…教師のおしゃべりには、もうアキアキし始めている。おや、あなたの隣りの奴は何か熱心にやっていると思ったら、漫画の本を読んでいる。…
 ―大学にとって、あなたという人間―学生とよばれているあなたという人間―が必要なのかと思ってみたことがありますか?…あなたが大学側から受けとったものは、合格通知と入学金支払いの為替用紙と、授業料催促の手紙だけだったろう。そしてあなたは…学生証をもらった。
 そしてあなたは、4ヵ年の時間をかけて…晴れて卒業することだろう。…大学(側)にとって、あなたはそれだけのことに過ぎないのだ。卒業名簿の中にあるあなたの名前など、大学側にとっては授業料の領収書の意味しかないのだ。

 彼女の生涯はわずか20年間で終わった。しかし、与えられた人生を精一杯、全力で生き抜いたのだろう。読後私は、そのように感ぜずにはおれなかった。

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