因島にて… つかみかけた確信【40】

戦後65年―因島の秋(2)
 原田真二という歌手は、18歳でデビューして以来33年間の歌手生活のすべてをかけて今夏、因島の島唄「アイランド・オブ・ピース因島」を作詞・作曲し、700人の聴衆の前で歌い上げた。彼を招へいし、曲づくりを働きかけた当事者である私は、彼がそうであると同様に、自らが歩んできた人生のすべてをかけて、その曲を大切にし、CDとして形あるものにしなければと決心した。


 原田真二さんは、今年6月に出版した著作「幸せに生きるヒント グローバルハーモニー」の「まえがき」で、歌手生活の33年間を次のようにふり返っている。

 ―一挙に音楽にのめり込み、原爆ドームの向かいにある小学校を卒業した僕は、当たり前のように平和への思いで歌をつくりはじめました。音楽漬けの中高生生活を突っ走り、ラッキーなことにデビューのチャンスをかちとります。しかし自分の意に反し、アイドル的に大ヒットしてしまいます。逆にそれが引き金になりました。いかに音楽で平和へのメッセージを人々の心に届けることができるか、試行錯誤の毎日でした。音楽の力を信じ、平和の原動力となる優しさを人々の心に復活させる。

 18歳のデビュー前から、また初武道館ライブのドキュメンタリー映画「アワーソング」の中で口にした志は、今現在までまったく変わりなく、さらに大きな盛り上がりになってきています。
 最近、痛感するのだ。原田真二さんとの会話は、決して中途半端なものに終わらない、ということを。彼が発する一語一語から、かつて感じたことのない重みが伝わってくるのである。私はそれに対して、余力を残さず、私のすべての力で応えることにしたのである。
 8月下旬、因島の彼が宿泊するホテルのラウンジで、8月24日の朝日新聞の記事について語りあった。その全国版の「ひと」欄は、「沖縄戦65年 ひめゆり学徒の遺志継ぎ『島唄』を歌う」として、ザ・ブームの宮沢和史さんを紹介した。
 彼らの代表曲「島唄」は、1992年に沖縄で限定販売されて話題を呼び、全国発売されミリオンセラーになった。海外でもヒットし、世界十数カ国で歌われている、という。ここまでは知っていたが、この曲が「ひめゆり学徒隊」の悲劇に材をとったものであるとは知らなかった。宮沢さんは、その記事のなかで次のように語っている。

 ―沖縄戦に無知だった自分が恥ずかしかった。学徒らがどうして集団自決を選ぶことになったのか、怒りがこみ上げて仕方がなかった。
 ―音楽で発信できる自分が、学徒らの遺志を受け継ぎ、歌い続けたい。

 原田さんに宮沢さんについて尋ねてみた。繋がりがあるという。ふたりの発想は酷似している。音楽のメッセージの力を信じ、それによって平和に貢献しようとする一途さは、そっくりである。51歳原田さんと44歳の宮沢さん。ひたすらに突き進む原田さんの影響力は大きく広がっているのだろう。
 今私は、「アイランド・オブ・ピース因島」を「新・島唄」と思っている。沖縄戦に材をとった「島唄」につづく、因島空襲に材をとった「新・島唄」。地元でヒットし、全国・全世界に広がることを夢見るのだ。因島空襲という歴史的事実の有する普遍性故に、地域性や国境を越えて支持を得るに違いないのだ。
 世界を舞台に活躍する天才ミュージシャン原田真二さんと出会い、連携して、ひとつの楽曲を世に問うことのできる喜びをかみしめたい。こうした千載一遇のチャンスを逃がしてはならない。死力を尽くして飛躍するときがきたのではないだろうか。

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