因島にて… つかみかけた確信【39】

戦後65年―因島の秋(1)
 個人的なことではあるが、今週に大きな出来事が連続した。本稿を書こうとしていた私に、一通のメールが入った。弁護士になるために司法試験を受けた、埼玉に住む息子からであった。その内容は、「合格した」としか記されていなかったが、感嘆符がふたつ付けられ、本人の喜びようが十分に伝わってきた。急いで電話をかけ祝いの言葉を述べ、しばらく会話を交わした。


 翌日9月10日の新聞各紙は、司法試験の合格発表の結果を報道した。合格者は2074人(男1482人、女592人)で、合格率は過去最悪の25.4%であったという。きっと厳しい試験だったのだろう。五月の筆記試験に合格したと連絡が入ったとき、「勝負は次の論文試験だと」、と息子は決意をみなぎらせていた。
 これから一年間の司法修習を受け、卒業試験に合格し、法曹の場に送り出される。弁護士の場合は、どこかの弁護士事務所に就職することになるのだが、最近はそれが難しくなっているという。父親として少しでも役立つことができれば、と思う。
 息子は先妻との間に生まれた子で、離婚とともに私は没交渉であった。5年前のことであろうか、彼が予告なしに私の自宅を訪れ、親子の関係が復活した。26年ぶりのことであった。司法試験を受けるために不可欠な法科大学院入学のさいに、私は身元保証人になった。
 息子がなぜ弁護士の道を選択したのか、よく知らない。しかし彼は、父親が刑事事件の被告人であることを母親から知らされ、育った。学生時代から数えて私は、二十数年にわたり、4つの事件をめぐる刑事被告人として生きてきた。そのことが、息子の人生に何らかな影響を与えたのか、いつか語り合うときがくるだろう。
 9月5日、広島大学時代の友人との四十数年ぶりの再会を果たすために、私は東京にいた。その数日前に彼の会社に電話を入れた。5、6時間を経て私の携帯が鳴った。およそ半世紀の時間と空間を越えて、心がつながった。互いの会話は、大学時代と寸分の違いがないように思えた。東京での再会の日程はすぐに決まった。
 広島大学を離れて上京して以来、彼の消息を知らなかった。2年前になるのだが知人が、彼が東京で会社を経営して、成功していると知らされた。しかし私は、連絡を取ろうとは思わなかった。その気になれなかった。それが突然、猛烈に友人に会いたくなったのだ。
 きっかけは明確である。原田真二さんのコンサートを開き、そこで誕生した島の唄をCD化し、日本と世界に向けて売り出そうとする私の企てを、彼に「診断」してほしくなったのである。しかし、実際に会って意外だったのは、学生時代には文学青年に見えた彼が今は、文化とは無縁なところにいて、現在携わっている専門的な立場から、強い興味を示し、重要な示唆を与えてくれたことだ。
 私が、「自分には経営的手腕がなくてね」と愚痴をこぼしたのに対して、思いがけない返答がもどってきた。そこまでコンサートをやり切れるということは、経営的手腕があるということだ、というのだ。私の残した実績が経営という観点から評価を受けたのは、初めてのことであった。確かにその気になれば、どの分野でもやれそうな自信が湧いてくる。
 さらに、自己資金がない私が有志に一定の約束のもとに資金的協力を得てCDを制作する事業を、専門的観点からどのように見えるか、尋ねてみた。これにも単純明快な回答をくれた。今の時代には、類似した例はよくある、というのだ。因島でのCD制作の方式を経済活動のひとつのあり方として評価し、自ら協力を申し出てくれた。
 連続したふたつの出来事が、今後の私にどのような効果をもたらすのか、不明であるが、友人も故郷の町おこしに力を入れていると知って、喜びがこみあげてきた。

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