因島にて… つかみかけた確信【37】

戦後65年―因島の夏(3)
 私がこの夏、変わったのは確実のようだ。その直接の要因は、天才ミュージシャン・原田真二さんとの出会いとふれあいである。この連載は、次の文章で始まった。


 ―この年齢でそのように表現するのは、ためらいがあるが、私は今、人生の転換期を迎えているようだ。およそ18年を経た、Uターン後の島での生活に自信を深め、自身の生き方に関して、ある確信をつかみかけているといってよい。困難な作業になるであろうが、その内容を整理することが本稿の目的である。
 原田真二効果は、少なくとも私にとって絶大である。彼を迎え入れ、彼のコンサートを実現し、さらに彼の活動を応援するには、それにふさわしい衣替えが必要であった。慣れ親しんだ古着を脱ぎ捨てるときがきたようだ。変化は次の二点で顕著である。
 原田真二さんのコンサートの最中でのトークは強烈である。歌と噛み合ったそれは、演説に自らの青春を爆発させた私さえ圧倒した。そして公衆の面前で話すことへの興味を私の内部に再び芽生えさせたようだ。
 私は、1969年4・28沖縄デーをめぐる自らの演説が破壊活動防止法における扇動罪にあたるとされて以来、演説行為自身に興味を失った。それについての裁判闘争には闘志を燃やしたが、人前で挨拶することさえ、敬遠するようになった。このあたりの事情については、いつか分析し、描いてみたいが、とりあえず、恥ずかしがり屋の性格故であると説明しておこう。
 生まれ故郷にUターンするにあたり、いくつかの誓いをたてたが、そのひとつに、決して他人と議論してはならないというものがあった。言いかえれば、おのれの考えを公表してはならない、ということである。
 すでに私の、思想的、理論的、実践的な体系は基本的に完成している。そのうえで、たえず新しい発想を吸収して肉付けを図り、論敵を打ち負かしながら、自らの計画の物質化をすすめていく。このようなありようが、私の生き方であり、生業である。したがって、議論は私にとっては職業であり、いったん始まったら、相手の主張を叩き潰すまで終わることがないのだ。
 私は本来、自らの信念や理論の正しさの証をたてるために、歴史に残る思想家と同様、生死をかけることを惜しまない、とう立場である。だから故郷のひと達を論争相手にしたくはなかった。しかし、原田真二さんの一途なメッセージを聞きながら、因島での生活においても、もう少し自らの意見を前面に出し、必要な議論はすべきだと思うようになった。
 私にとっての原田真二効果のふたつ目は、私の世界、交友関係が劇的に広がったということである。デビューして33年間を彼は、音楽一本で歩んできた。伝説的なアイドル時代を皮切りに、自らの天才的才能を開花させ、様々な実績を積み重ねてきた。熟年の域に達した今では、国内においてユニークなコンサートを開きながら、ニューヨークを中心に音楽活動を世界的規模で展開している。
 そうした彼と連携し、活動を支え、応援するということは、私がお会いする人の輪が、いやがうえにも大きくなるというものだ。また人にお会いする、動機付けに大きな変化がもたらされた。
 海外旅行の経験が一度もない筆者にとっては、ニューヨークなど関心外だったのだが、最近はそうもいかなくなった。つい数日前、ニューヨーク本願寺の中垣顕實住職の「マンハッタン坊主 つれづれ日記」(現代書館)を購入した。その帯には、住職の大親友である原田真二さんの、「亡くなったシアトルの叔父が導いて会わせてくれた、僕の大親友、中垣住職!たよりにしてまっせ!」という、熱い推薦文が載っている。

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