因島にて… つかみかけた確信【35】

戦後65年―因島の夏(1)
 戦後65周年目の「因島の夏」は、特別の夏になったであろうか。先日、「せとうちタイムズ」紙を配達しているとある方に呼び止められ、「私の妻は被爆者で3年前に死んだ。あんたが、お金のことを度外視して、平和のためにやってくれて、みんな感謝してるんで」、と語りかけてくれた。私は素直にその言葉を受け取った。


 今年の空襲記念日である7月28日に向けた私の気構えは特別のものであった。それは、戦後六十五周年ということにもよるが、因島の今後はどうなるのか、という危機感の目覚めに起因していた。今年に入るや最悪のシナリオを描くにいたった私は、迫りくる破局をどのように打開していくか、全身全霊をかたむけようと決心した。
 私にできることは何か、それを2点にしぼりきった。その第一は、米軍による激しい空襲をうけ、多くの犠牲者を出していながら、抗議もできないばかりか、調査も慰霊もしなかった屈辱的な島の戦後史を転換することをめざしたのである。
 因島空襲の調査を進めれば進めるほど私の内面に、空襲を行なった米国に対する憎悪が芽生えていった。人生において初めての「憎しみの感覚」は、抑えようにも抑えきれない。あえていうならば、私と私の家族に加えられた空襲の攻撃への「仇討」はいまだ終わっていないのだ。「和解」などと、したり顔で唱えるひと達がいるが、私にはこの切なる心情を消し去ることができない。
 さらに同時に、空襲にさらされた事実を知らないまま生きてきた自らの戦後の歩みを恥じている。そうであるにもかかわらず自分の父やその世代に反発し、論争を挑んでいったおのれの幼さを同様に恥じている。
 こうした情念に揺れながら私は、あの戦争はいったい何であったのか、どのように戦後を歩むべきであったのか、模索をつづけていくことだろう。そして、そのなかで屈辱の戦後史を覆す実践的な糸口をみつける試みに何度も挑戦していきたい。
 第二に、因島で芽生えた想いをどのように伝えるかである。この点について、報道は「平和な社会 因島から世界へ」(毎日新聞・広島市版)、「広島市出身原田真二さん世界平和訴え」(中国新聞)、と記事の見出しにした。
 因島空襲が瀬戸内の太平洋戦争として生起した世界史的な事件の一環である以上、因島とその住民は日本国内ばかりか世界に向かって、自ら堂々と主張を述べる資格があるというものだ。いまさらという声も聞こえるが、たかが65年前のことで、まだ間に合うではないか。その気概なくして、未曾有の島の難局を誰が救えようか。
 私は、戦後65周年の因島空襲記念日にこめた「空襲の子」の想いを、世界に通用する数少ない日本人歌手である原田真二さんに託した。彼との出会いはわずか1回しかない私であったが、そのワンチャンスのひらめきが、すべての始まりであった。
 彼の事務所の公式プロフィールをみて目をみはった。世界を舞台にした活動が急増しているではないか。
 まず、2006年から毎年8月5日(日本時間8月6日)、ニューヨークの反戦反核平和イベントであるユニバーサル・ピース・ディに日本人として参加している。
 2007年から毎年、9・11テロ追悼にあわせて行なわれているニューヨーク本願寺主催のハドソン川灯篭流しでのライブをつづけている。2008年、フィリピンにおいてストリートチルドレンのためのチャリティーコンサートを開催。昨年9月、メキシコでの国連軍縮会議にて演奏を行なった。
 18歳のデビュー時しか知らない私にとって、すべてが驚くべきことであった。あの大ヒット曲「キャンディ」の原田真二さんがここまで成長したのか、時の流れの早さに息を呑むばかりであった。
(青木忠)

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