「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【7】

君は忠恕の二字に盡く
 「寝台戦友」の橋本さんに捧げる弔辞に「妻君を一目惚れ、片想いであったことを母親に告げたことで想いをかなえた」というエピソードはいかにも小説家としての司馬さんらしい。そして橋本のおばあちゃんは姉妹そろって「しっかり者」として親類縁者から一目も二目も置かれていたので読者の皆様のご想像におまかせしたい。そして弔辞は続きます。

 君、父君の縁(えにし)にて因島に住む。当座は漁(すなどり)などをし、年若き隠遁(いんとん)者のごとくして暮らせり。
 君、頭脳明晰(めいせき)にして敢為(かんい=反対を押し切って行なう)の精神あり。本土に某(なにがし)といふ印刷会社ありて社長死し、遺族社員など途方に暮る。君、これを見、みずからゆきて再建し、それを遺族にわたして再び島に帰れり。その進退に些(いささ)かの私心(わたくしごころ)なく、些かの私の欲心もなし。橋本君輝昭にありては忠恕(ちゅうじょ)のみ。
 その後、父君の事業を次ぎ、橋本組を興し、商いの道をはじむ。商ふとて人をだますに非ずと君は言えり。君は名門神戸高商に学び、商いの道に明るければ、利を巧み、ひとを詐(いつわ)り、同業を押しのける底の商いには無縁なりき。義を重んじ、信を尊び、しばしば利を忘れたり。君にありては君の事業は商ふに非ずして義を行ふに似たり。
君は、ただいたずらに人の世話を仕抜き、己れの労(いたつ)きを顧みざりき。

 結局、日本の若者たちは「国家」が人民に「死」を命ずる権利があるのか、何のために死なねばならないのかという懐疑心は軍隊ボケして薄ボンヤリとしてしまった。司馬さんは復員してから、わずかな復員手当のなかから闇市で靴を買い底のやぶけた戦車用の長靴をはきかえた。そして就職は京都にあった新日本新聞に入社。大学・宗教担当の記者になるわけですが、昭和21年(1946)といえば敗戦間もない混乱期。極端に紙もとぼしかったので古新聞が商品の包装紙やオトシ紙(トイレットペーパー)に重宝がられていました。三年を満たずして同社はつぶれ、産経新聞京都支局に再就職。大阪本社地方部―37歳で文化部長に出世した。
 一方、橋本さんは司馬さんが太鼓判を押すように帝国軍人として忠恕の二字をつらぬき敗戦を迎えたからショックは大きかったと思われます。
 その橋本さんが(株)福本印刷にスカウトされ、担保なしで会社再建資金を銀行から借りて社運を建て直した実績が当時「紙切れ一枚で銀行から金を借りた魔術師」として注目されたというエピソードを聞いたことがある。
(庚午一生)

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