因島にて… つかみかけた確信【31】

原田真二さんのこと(3)
 2月22日の旧広島市民球場での申し入れ以降ただちに、原田真二さんのシングル、アルバム、DVDを取り寄せ、聴きはじめた。コンサートを主催するのだから一番のファンにならなきゃ、と真剣に考えた結果である。それ以来、私の仕事場から彼の曲の音が絶えたことはない。


 原田真二事務所から公式プロフィールを受け取り、彼の活動の現状を見た。「原田真二~最近の主な活動~」のページの「平成21年9月メキシコ国連軍縮会議にて演奏」というところに目がとまった。活躍の舞台が世界に広がったのだ。こうした国際舞台でライブをできる歌手が日本に何人いるだろうか、と思った。
 2007年4月27日の広島市を本社とする中国新聞は次の記事を掲載している。

 ―広島市中区出身のシンガー・ソングライター原田真二さんが、旧海軍の戦艦「大和」を平和のシンボルとしてよみがえらせようと、新曲「大和―ヤマト ザ グローバル ハーモニー」を作詞作曲した。思いを受け止めた呉市内の企業や市民らでつくる実行委員会がCDを自主制作した。

 私は原田さんとは直接語り合ったことはほとんどないが、昭和20年の因島空襲についての彼の理解が深まっていることを感じている。因島への初訪問の際、新聞記者の「なぜ因島でコンサートをやるのか」との質問に答えて彼は、「戦争の犠牲がヒロシマやナガサキだけではないことを知った」と述べた。さらに、2回目訪問に関する記事(5月21日)で毎日新聞の中尾卓英記者は次のように書いている。
 高齢者総合福祉施設「花園」(荻野康彦施設長)では、地元の高齢者50人が「こいのぼり」「せいくらべ」などを歌って歓待。原田さんは「太平洋戦争を挟んで、ご苦労をかさねられた皆さんのおかげで私たちが平和の中で暮らせていることに感謝したい。因島から世界に平和を発信するコンサートにぜひお越しください」と語りかけ、…。
 さらに中尾記者は、全国面「ひと」欄に原田真二さんを掲載し、次のように記している。

 ―7月28日には、65年前の同じ日、空襲で百人以上が犠牲になった広島県尾道市因島で公演する。先月、新曲の曲想を練るために島を訪れ、出会ったお年寄りに語りかけた。「戦争でご苦労を重ねられた皆さんのおかげで、私たちは平和に暮らせている。感謝します」。

 初訪問のとき、因島公園が中腹にある山の頂上から日立造船因島工場の全景を見せて私は彼に、そこが米軍の空襲によって蹂躙された事実をもとにイメージし直してくださいと言った。彼は無言だったが、何を感じてくれただろうか。昭和20年7月28日、大軍需工場としての造船所は艦載機グラマンによって猛攻撃にさらされたのだ。
 およそ1カ月後の6月18日、原田さんは、日立造船因島工場内の内海造船にいた。船台には、進水式を控えた2万7千トンのコンテナ運搬船があり、その隣の船台でも同型のものが建造されていた。彼は初めて、造船所見学にやってきた。
 工場の山側の崖には、いくつもの大きな防空壕跡が並んでいた。戦争の時代のたたずまいを残したまま、船舶の建造がつづいているのだ。工場側の好意で、鉄板の切断、加工から始まる造船の全工程と進水間近の巨大な構造物のすべてを見ることができた。
 彼は、進水式がどのような方法でなされるのか、興味を引かれたようで、船底下に潜って詳しく尋ねていた。その日の夜、「進水式に来たい」と語り始めた。まさかの展開だと思われたが、どうも造船というものにとりつかれたようである。

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