因島にて… つかみかけた確信【29】

原田真二さんのこと(1)

戦後65周年の因島空襲記念日の7月28日、「いんのしまピースデイ・よみがえれ因島」と銘うった野外コンサートが、因島運動公園で開催される。そのメインゲストは、原田真二さんである。この企画が明らかになると、「どうして原田真二さんが因島に来ることになったのですか」と矢継ぎ早に尋ねられることになった。


そうした疑問は当然のことである。私にとっても夢みたいなことで、その日の出会いさえなければありえなかったことだ。今年の2月22日、原田さんと私はほかの大勢のひとたちとともに広島市の同じ場所にいた。午前中は原爆ドーム前、午後からは旧広島市民球場である。高校球児であった私がグランドに足を踏み入れるのは、高校一年の甲子園予選の夏以来であった。

私の友人たちふたりはその日、その場で、被爆ピアノニューヨーク公演記念コンサートを開催しようとしていた。誘われて私は、気楽な気持ちで顔を見せたのだ。私の待つ原爆ドーム前に姿を現した原田さんは、おもむろに被爆ピアノを弾き、歌いだした。すっかりアイドルを卒業し、熟した男の重みが伝わってきた。

やがてその時がやってきた。市民球場のピッチャーマウンド近くに設けられたステージで演奏が始まった。目の前の客席で聴くことができた私の内面に、一種の「化学変化」が起きることになるのだ。それは、デビュー曲「てぃーんずぶるーす」、「キャンディ」を聴いた時だった。

彼の鮮烈なデビューは、東京で政治活動に専念していた私にも衝撃を与えた。広島市出身の歌手から生み出されたサウンドとは、とうてい信じられなかった。およそ33年の時を経た今、私は、大人の男の風格を漂わせながら彼が歌うその曲を、体感したのだ。「彼は本物だ」と心底感じた。そして「因島に招き、島の人間に聴かせたい」と思い、アクションに打って出た。

コンサートが終了するや主催者の友人に了解をもらい、原田さんに「因島にきてほしい」と告げた。彼は最初、「因島」を広島市宇品沖の「似島」と思い違いしたようだ。これがまたラッキーだった。しばらく会話が継続し、「因島談議」がつづくことになった。そしてトントン拍子に話はまとまっていった。

すぐに東京の原田事務所あてに、私の著した「瀬戸内の太平洋戦争 因島空襲」を送った。招へい意図と企画趣旨を理解してほしかったからだ。さらに野外コンサートにこめた「島おこし」の狙いについての説明も発信しつづけた。

私は三点を強調したかった。まず何よりも、埋もれてしまっていた因島空襲を歴史的事実として、日本と世界に知らせたいことである。そのことにより、いっそう真実が判明し、多くの犠牲者の慰霊が広まることだろう。少なくとも島の人には例外なく全員に知ってもらい、名実とも7月28日を空襲記念日として認識してほしいのだ。

さらに、時代に翻弄されながらも、時代とともに生きてきた因島の新しい出発点に、このコンサートを設定したかった。時代の状況は、かつてなく島にとって厳しい。しかし、そうであればあるほど、たくましくそしてしたたかに生きて行かねばならないのだ。受動から能動に転じ、新しい島づくりのトキの声をあげる場になればよい。

こうした願いを実現するためには、コンサートが本格的で、オリジナルなものでなければならない。しかも一回きりのものではなく、毎年開催される必要がある。それが、世界中でここにしかないものだとしたら、世界の耳目はきっと、因島に集まることになるだろう。

かつて、「ニューヨークやロンドンが因島にある」と言われた時期があった。造船全盛期のころである。因島土生町はまるで国際都市の様相を呈していたことだろう。そのよみがえりを夢見ることが、決して荒唐無稽でないことを提示してみたいのだ。

(青木忠)

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