「橋本君輝昭に捧ぐ」司馬遼太郎の弔辞【3】

君は忠恕の二字に盡く

君はよき寝台戦友なりき。我は悪しき寝台戦友として君に多くの負担を掛く。我はあの頃の国家を悦ばず、今なほその時代への憎しみは消えざれども、君はあくまでも忠恕(ちゅうじょ)にして軽々しからず、忠恕トハ、忠は己れに対して真面目なる事にして、恕なるは、他(ひと)に対して限りなく思いやりあることなり。孔子の門人曽子の言う。孔子一代を覆ふ言葉をひとことに尽せば何ぞ、そは、忠恕のみ、と。

橋本君輝昭 君が人柄、君が生涯もまた忠恕の二字に盡く。おのれに対する真面目さはつねに宝石のごとく美しかりき。他(ひと)に対する思いやりは三月の雨の如く草木をうるほせり。


写真は初年兵時代の橋本さん(上右)と司馬さん(下)。2人とも眼鏡。


あの頃の国家を悦ばず

弔辞は延々と続きますが、司馬さんは「あのころの国家を悦ばず、その時代の憎しみは消えざれども君は忠恕にして軽々しからず…」と橋本さんの霊前で語りかけます。戦時中にこんなことを語り合っていると、忽ち憲兵や特高警察にしょっぴかれます。

もっとも、当時は軍人になって祖国のために盡そうという青年は志願兵の道を選んでいました。だから残留組は兵役のがれの理由を探していたものです。学内の文学グループには近寄らず、友人は一人もいない無思想だった司馬さんはいざ兵隊にゆくとなると「国家」というものに対して懐疑心がわいてきたと述懐しています。

「死」を命ずる権利が国家にあるのだろうか。何のために死なねばならないのか。頭が痛くなるほど考えたが結局、全然わからなかった。終戦直前に内地に帰った栃木県佐野の町角で遊んでいる子供たちを見て「この子たちのために死ぬのかな」と薄ぼんやりと思ったことが記憶に残っているともらしたことがある。入隊前は勝負事がだめなくせに将棋屋に熱心に通い、授業にも出ていたが何だかむなしくて、毎日をごまかして過していたような気がすると回顧するのは司馬さんだけでなく学徒動員で出征した学徒たちの心境だったようだ。

余談だが、学徒動員は卒業仮免許をもらって出征。敗戦後、復学した学徒は大学卒業の免状が2通できるので仮免許状が「闇市」で高値で売買される珍現象が起きている。

(庚午一生)

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