追憶 ~甦る日々【7】一章 希望と躓き

文学作品に影響されやすい私の傾向は、高校3年の頃から顕著になったようだ。永井荷風(1900~1959)の『濹東綺譚』(1937)にすっかり心を奪われたのである。

私の文学への目覚めはおくてで、高校2年のころからである。中学校までは野球というスポーツに熱中し、読書を嫌い、図書館に行くこともなかった。そればかりか、文化系部活動が軟弱にみえてしかたがなかった。

進学した地元の因島高校でも「スポ根」生活を継続することになるのだが、2年の後半にある変化が起きた。現代国語の日本文学の授業のなかで、作家・永井荷風に出会ったのである。

受験生の私にとって日本文学や世界文学の学習は、単なる受験合格のための手段にしか過ぎなかった。したがって作品名と作家名は懸命に記憶したが、決してその作品を読むことはなかった。ところが永井荷風の場合は違った。代表作の一つである『濹東綺譚』のあらすじを知り、それだけで、すっかり虜になってしまった。

老作家の私(永井荷風本人であろう)が現在の東京都墨田区東向島にあった、「玉の井」という私娼街で偶然、若い娼婦の「お雪」に出会い、心を通じ合うのだが、やがて別れがやってくる。

また、思春期の私は永井荷風の人物像にも関心を寄せ、彼にまつわる「反骨」、「放蕩」、「耽美」という独特な言葉を知った。そして、ある写真に驚かされる。

永井は1952年、文化勲章を受章する。72歳の時である。その同じ年に衝撃的な写真を撮影するのである。その中心には、ストリップ劇場「浅草ロック座」の踊り子たちに囲まれた永井がいる。浅草の彼女たちこそ、その受章を一番慶んでいるかのようである。この姿こそ永井の生き様だと思った。

私の内面に永井荷風が住み着くことになった。「荷風のように生きてみたい」という願いが芽生え始めたのである。そして、その想いは抑え難く、ついには、3年秋のホームルームでの「自分の将来を語る」という時間で、「どんなに貧しくても構わない、自由でありたい」とクラス全員の前で口走るに至った。

こうした心境の変化は、私の受験勉強の破綻の危機を意味した。揺れ動く心情が受験勉強と両立するはずがない。すかさず心配した、担任の教師から声がかかった。気を取り直して、「受験のゴールまで残り数カ月だ。とにかく我慢しよう。今は永井荷風の作品を読むことはできないが、大学に入ったら思う存分読むぞ」と誓った。

しかし、ことはそう甘くは進まなかった。受験の二週間前に私の体調は最悪の状態に陥った。最後の追い込みだというのに机につく気にもなれず、だらしなく布団に横たわっている日々がつづく。

この窮地を救ったのは、ある文学作品であった。私の寝室には、母所有の『夏目漱石全集』が置いてあった。「もう受験勉強などどうなったっていい」と開き直り、漱石の全集に手をのばし、『吾輩は猫である』や『坊ちゃん』を読みふけったのである。こういう時には、永井荷風の作品は重すぎた。漱石の二つの作品が私の乱れた心を和ませてくれたのである。

そればかりか、思わぬ福が私に舞い降りた。受験本番の現代国語の問題に『吾輩は猫である』が出題されたのである。問題を見た瞬間、「ヤッタ!」と声を出したくなった。出来栄えの手ごたえは充分だった。

現代国語を少々苦手としていた私にとってこれほど幸運なことはなかった。このことがあって大学入試を突破できたのだと、現在でも思っている。

(青木忠)

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