因島にて… つかみかけた確信【26】

文章化を急げ(4)
 私が経営している学習塾に来ていただいて宮地種光さんとお話することになった。宮地さんは「まさか自分たちが体験した空襲を調べている人がいるとは思わなかった」と語った。大田しどりさんも空襲を体験した同級生たちについて、「みんな、それぞれが戦争のつらく、怖かった経験を胸の内に持ちながら、口を開く機会がなかったのです」とお手紙を下さった。


 宮地さんと語り合ううちに話題はやはり、「かきの屋」で亡くなった沖縄出身のご家族のことに移った。宮地さんは、「亡くなられた人の数は11人と記憶している。しかし確信はない」と、繰り返した。また、大田さんのことについて、「彼女は優等生だったが、自分は算数や数学が得意で自分の方ができた」、と思い出を披露してくれた。そのとき私の脳裏をよぎったのは、宮地さんの数字に関する記憶は確かなのでは、という想いだった。
 この直後、「かきの屋」事件について、もしやと思い、心当たりのあるところを片っぱしから調べてみた。地元の行政機関、寺院、沖縄県庁、沖縄の報道機関などにも問い合わせてみた。しかし犠牲者の実態に迫る一片の情報すら入手できなかった。
 大田さんや宮地さんが、ご自分の記憶や空襲遺品を大事にされていることに刺激をうけて私は、わが家の空襲遺品に目が向いた。毎日新聞福山支局の前本麻有記者はそのことについて、2009年2月17日の紙面に、「因島空襲で損傷の碁盤発見」「全壊の自宅 持ち出した亡父の遺品を探索」という見出しの記事を掲載した。それをほぼ全文にわたって引用したい。
 ―碁盤は、青木さんの父で99年に亡くなった松本隆雄さん(享年94)が所有していた。縦45センチ、厚さ14.5センチで高さ12センチの脚が付いている。碁盤の目の上に2カ所、えぐられたような傷がある。
 45年7月28日の空襲で、同市因島三庄町にあった自宅は全壊し、その後に移り住んでいた同町内の家で見つかった。きっかけは、尾道市囲碁のまちづくり推進協議会理事の大西洋一さん(74)=因島田熊町=が「空襲によって傷ついた碁盤を、隆雄さんが持っていたはずだ」と青木さんに告げたことだった。
 隆雄さんは、空襲の翌年から三浦村立椋浦小学校(現在閉校)の校長を勤め、在職中は校長官舎で囲碁大会を開いていた。大会に参加していた大西さんは、隆雄さんが「この碁盤は空襲の時に傷ついてしまった。全壊した自宅から持ち出してきた」と話していたのを記憶していた。
 この碁盤は、子供のころから不思議な存在だった。何故傷ついているのだろう、と思いはしたが私も聞きもしなかったし、父が語ることはなかった。
 大田さんや宮地さんと出会うことで私は、自らの歩んできた人生を振り返る機会を与えられた。自分のすぐそばで起きた戦争をほとんど知らないで生きてきた自分の人生とはいったい何なのだろう。人一倍戦争反対を叫び、実践した自分だ。どこまで戦争の実相に、迫りえていたのか。空襲を調査するということはそもそも何なのか、問い直さざるを得なかった。
 空襲調査の方針を見直すことにした。地元での調査の重視である。もっともっとその時代を生きた人からの話に耳をかたむけることの大切さに気付いたのだ。
 私の自宅には、九百数十枚にのぼる、日本占領関係資料の因島に関するものがある。私が2009年4月13日、国立国会図書館・憲政資料室で入手したものだ。マイクロフイルムをコピーし、その経費だけでも3万円を超えた。もちろん全文が英文である。じっくり腰を据えて翻訳にとりかかろうと思ったが、それどころではなくなった。米占領軍資料など後回しだ。

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