ふるさとの史跡をたずねて【34】空谷農道(因島土生町郷区)

空谷農道(因島土生町郷区)

第一家老の救井氏が青陰城を守ったのに対して、第二家老稲井氏は土生小丸城を守った。小丸城跡周辺を探訪するには空谷農道から行くのがよいだろう。

変電所とその上の才の池の間の道を南に入ると島四国繁多寺がある。そこで右折して下って行く。すぐに左手に開けた谷がある。谷沿いに降りたところで左折する。そこから空谷農道が始まる。電柱の隣に「空谷農道之碑」と書かれた石柱がある。

海賊横行時代の地中海では住民は海から離れた高いところに住み、治安が回復すると何かと便利な沿岸部に戻った。瀬戸内海でも同様であっただろう。山を降りて沿岸部へ移り住んだことを「空より来る」と言った。

因島村上氏の時代には海に面していた対潮院あたりに比べれば、確かに空谷は高いところある。空という字を高いという意味で使う地から来た人が、稲井氏かその配下にいたのではないかと思っていたら、田熊に「空」、重井に「空ケ谷」があった。いずれも高いところである。

(写真・文 柏原林造)

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