追憶 ~甦る日々【2】序章 突然の電話


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高杉が電話で告げた永島由美子は、大学時代の私の恋人である。ふたりは愛し合い、将来を誓った。にもかかわらず、その関係は実ることなく、一年も経たずに砕け散った。彼女と過ごした日々の人生上の意味は重く、今なお私の内面の奥底に静かに息づいている。

高杉の口をついて由美子の名前が出た時に私は、不意打ちをくらって、心の揺らぎを相手に気づかせないために、「そうなの…。」と乾いたあいづちを送ることしかできなかった。

なぜ高杉は由美子を知っているのか、全く予期しないことであった。次々に謎が広がっていった。

「ふたりは大学の学部は同じだが、学年は違う。勤務先も別だ。どこでふたりは親しくなったのか。」

「なぜ由美子と私とのことを高杉は知っているのか。噂で伝わるほどの関係ではなかったはずだが。」

「だとしたら誰から聞いたのか。ひょっとしたら由美子からなのか。」

こうした疑問は何ひとつ解けないまま終わった。懐かしい大学キャンパスで会おうという高杉との約束は実現しなかった。彼の体調のこともあったが、主な理由は私にあった。計画した日取りの8月6日、大学キャンパスが平和行事で混雑することが分ったのだ。

私はそれを敬遠したのである。私が望んだのは、誰もいないキャンパスを高杉とふたりで散策しながら、語り合うことだった。

結局、私は別の日にその場をひとりで訪ね、感慨にふけったのである。大学は東広島市に移転し、残された建物に誰もいないが、キャンパスの隅々まで歩いてみた。つづいて、正門から外に出て、直ぐ近くの原爆記念病院にも行った。さらに当時、大学関係者や学生たちで賑った古本屋ものぞいてみた。店主は私に、大学の移転によりいかに街がさびれたか嘆いた。

道すがら高杉のことを考えた。彼に会うことができたなら、真っ先に由美子のことを尋ねたに違いない。彼は、私の抱いた疑念に快く答えてくれただろうし、彼女の近況も教えてくれたはずだ。あのころから時間は経った。きっと私は、そうした話のいずれにも微笑ながら応えることができただろう。

由美子は高杉の誘いをなぜ「私は行かない」と言って拒絶したのだろう。私の知らないところで話は進み、高杉は私の近況を彼女に語って聞かせたと推測される。

彼女は今なおこだわっているのだろうか。高杉を通じて伝わってきた短いメッセージは、遠い昔に途切れた糸を繋ぐ結果をもたらした。心の深奥に何十年も閉じ込めてきた由美子のことが静かに私の内面に滲み出た。

私の勝手な解釈だろうか。彼女にこだわりがあるとするならば、私は何をすれば良い。遠い記憶をたどれば、由美子の秘めた想いに応えてこなかった自らの姿を発見する。

高杉が提案する、私たちの学生時代に光を当てる作業に同感だ。実際、それを精力的に行なってきたつもりだ。しかし、そのなかでひとつだけ、避けた領域があった。それが由美子とのことに他ならなかった。

彼女との恋は、様々な要素を一つひとつ剥ぎ取っていけば、学生時代の私にとって最も貴重な営みであった。大いに歓喜し、悩み、苦しんだ。そうした試練がどれほどまでに私の人間的成長を促したことだろうか。

手遅れかも知れない。最早届かないだろう。しかし、今こそ由美子との愛の日々に想いを馳せ、その意味をかみ締めていこう。悔いを残さぬために。

(青木忠)