父のアルバム【48】第六章 八朔と生きる

83歳を目前にした父が、全国に散らばって生活する息子や娘、そして親族あてに手紙を送った。そしてそれには、前年末に遺影のために撮影した写真が同封してあった。東京に住む私にもそれが届いた。昭和63年3月14日の日付である。

本年は暖かい3月で月末には桜の開花を見られるとか。例年にない凌ぎよいこの頃ですが、皆様には御健勝にてお幸せにお過ごしの御事と存じお慶び申し上げます。

さて私こと昨年1月から体が不調で医師にかかり、皆様から格別のお心遣いご激励を頂きましたが、目が見えない、歩けない足、聴き難い耳、働けぬ体の、独り暮らしの生活では生きる望みもくずれ、12月には写真もとりお迎えを待つ気持ちにもなりましたところ、年末頃から視力が7月の手術の効果がかなり現われ、リハビリに努めて足の痛みがやわらぎ、平成の新時代を迎えやがて83才となることを次のことを思い、次のような3つの目標を掲げて努力いたす決意を致しました。

  • 心は若々しく お若い方、女性ともよき付き合いを
  • 体は健やかに 健康は最優先 自ら健康管理を
  • 仕事を喜ばれる 全生活が人々に喜んで頂けるように努力する

こうして「粗大ごみ」扱いの老人になる時期の一年でも遅くなることを念じて、今後皆様のご指導、御鞭撻を賜わりつつ昨年の守りから攻めの積極的な気持ちになりました。

第一に去る3月7日再度白内障右眼の手術も終わりまして、心機一転、元気で明るい日々を送る身となりました。どうか皆様方の今後のお力添えをいただき、力強く生き抜きたく存じます。

平素のご無沙汰を詫び近況をご報告申し上げます。末筆ながら御一家のご多幸をお祈り申し上げます。

昭和56年のアルバムに貼り付けられた、75歳の決意のメモと、83歳の手紙の内容を読み比べてみた。最大の違いは愛妻の行(ゆき)が昭和60年に他界したことである。父は79歳から独り暮らしを余儀なくされた。さらにその精神的な打撃に加えて、肉体的な衰えが襲った。

しかし、その苦難に負けなかった。「守りから攻めの積極的な気持ちになった」と言う。これこそ父の真骨頂である。逆境に強いのである。苦難さえエネルギーにして前に進もうとするのである。

こうした姿勢で度重なる試練を乗り越えてきたのであろう。戦時下もそうだろうし、空襲にやられた時もきっとそうだったに違いない。妻を病気で失った際も新たな伴侶との生活を躊躇することなく選択した。

その手紙と写真を受け取って3年後に私は、家族とともに生まれ故郷に帰ってきた。これは、人生の大転換であった。届いた手紙がどれほど影響を与えたか、定かではないが、そのころからUターンを意識し始めたのかも知れない。

独り住まいであるにもかかわらず、力強く生き抜こうとする勢いが私を引き寄せたのであろう。

(青木忠)

遺影として父が写真館で写したものである。82歳8カ月とある。

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