ふるさとの史跡をたずねて【29】随身像(因島重井町八幡神社)

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随身像(因島重井町八幡神社)

伊浜八幡神社とも呼ばれる白王山八幡神社の随身門は文化8年(1811)に建てられたものであるが、因島村上氏六代吉充が永禄12年(1569)に青木城築城に際して奉納したと伝えられる随身像が飾られている。

八幡神社は青木城から見れば、艮(うしとら)の方角(北東)で鬼門である。反対の裏鬼門には山の神が祀られたから、これらの配慮が修験者の教唆に基づいたものだという説は、無理のない推定だと思う。

八幡神社の棟札には「大旦那源吉充 永禄十二年九月廿一日」などの文字の他に「勧進者平土讃守柏原忠安七十八才」と書かれている。なぜ一人だけ年齢が書かれているのだろうか。書かれた時には既に亡くなっていたのだろうか。あるいは珍しいほどの高齢だということで記したのだろうか。

慶長5年(1600)の毛利氏の防長移封に伴い、柏原忠安の長男は萩へ、四男は福山へ行き、次男が上坂から川口へ移り、三男は早稲田で医者をした。次男三男はそれぞれ、川本家、蔵本家の初代になり、重井柏原氏はこの両家から始まったと伝わる。

柏原神社のある荒神社は須越と上坂の間の無量寺跡にあり、柏原土廟碑などがある。福山の詩人木下夕爾氏は昭和33年に、ここから重井の町を眺めて重井小学校校歌を作詞した。

(写真・文 柏原林造)