父のアルバム【46】第六章 八朔と生きる

祖父を継いだ父はわが家の畑に革命を起こした。それまでに誰も発想しなかった、電気を畑に引いたのである。そのことで、畑とそこでの作業は様相が一変した。

その正確な時期は定かではないが、「畑に電気を引いたんで!」と私に告げた父の声は弾んでいた。無理のないことだ。そのことはわが家にとって歴史的事件なのである。

それにしても何処から電線を延長したのだろうか、聞き忘れてしまった。ホテルのある、目の前の山からか、それとも遠く離れた居住区からか。電線は、祖父の代に建てられた木造二階建ての納屋(倉庫)に引き込まれた。

納屋のなかに電動のポンプが設置され、柑橘の消毒作業が格段と楽になった。最早、手動のポンプは昔話になったのである。

灯りがともることによって、早朝と夜間の作業ができるようになった。勤務との兼業である者にとってそうした環境は実に好都合である。収穫と出荷の追い込みにとってはとりわけそうであろう。

さらに電気を引くことで納屋が生活拠点になった。そこに、電気だけではなく、従来のものに加えて新たに掘った農業用の井戸から水を取り、手づくりの水道を通したのである。そうすることで、納屋は食事を作れる生活拠点にもなった。必要とあれば宿泊も可能である。

さらに畑を知人や親族をもてなす場として活用するようになった。柑橘を収穫し、その場で昼食をともにするのである。アルバムには、その時写した写真が何種類も残っている。実に楽しそうである。

畑とその作業の革命をなしとげた父は、並行して運搬手段の改善に着手した。時代に合わせて、一輪車、つづいてエンジン付きの運搬車を導入した。サスやイグリ、背負子(しょいこ)の時代は完全に終わった。奥まった小山のふもとにある、わが家の畑にとって運搬作業は宿命的な難点であった。運搬作業の改善によって、きっと父親の農作業は飛躍的に活性化したに違いない。

父は畑を祖父から継ぐにあたって、自分らしいやり方を追い求めたのであろう。曽祖父や祖父が綿綿(めんめん)とつづけてきた、耐える農業を一新し、自らのロマンの実現としての攻めの道を模索しはじめたのである。

こうした生き方は、教育委員会の勤務が終了した後に本格化し、死ぬまで変ることはなかった。

(青木忠)

父が参加していた、柑橘グループの八朔作り振興大会の記念写真。前列左からふたり目が父。左端が母である。

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