父のアルバム【42】第五章 苦難を越えて

今回の写真は、父のお気に入りの母・行(ゆき)の写真である。これはどこかの写真館で撮影したもので、何枚も残っている。アルバムに3枚、他にそれぞれ大きさの違う三つの額に収まっている。おそらく父は行の死後、これらの写真の中にいる彼女とともに生きて来たのであろう。

この映像は、父のメモによれば昭和37年2月のもので、行は60歳である。高校2年生の私と母とが大学受験を巡って、この時期に繰り広げた攻防戦を今でも忘れることができない。

高校進学に込めた思惑は、私と両親では全く正反対であった。両親は、広島大学教育学部から学校教師への道を歩ませるために私を高校に進ませた。その想いは、「君の人生なんだから君自身で決めなさい」などというなまやさしいものではなかった。

私の高校進学の動機は、硬式野球部への憧れだった。小中学校を通じて野球に熱中した少年にとって第一義的なものは大学進学ではなく、野球でしかなかった。このチャンスをどれほど待望したことか。進学について言えば、野球を思う存分やりきった後に料理学校にでも進もうと漠然と考えていた。

高校入学が決まるや対立が明らかになった。私は当然、野球部入部への承認を両親に申し入れた。金銭的にも親の支援なくして部活動の継続は不可能であるからだ。しかし、帰ってきた返答は、「否」であった。理由は、「1年の時から部活動などせずに受験勉強に専念しなさい」というものであった。

私は落胆した。中学時代と同様に親が支援してくれると思い込んでいた私は目の前が真っ暗になり、まるで地獄に落とされたような心境になった。

引くに引けず、質問した。

「では、どうすれば野球をさせてくれるの。」

だが親は返事をしない。私は語気を強めて訊いた。

「広島大学に合格すると約束すれば、野球部入部を許してくれるの。」

「それならいいよ。ただし2年までだよ。」

親からの期限付きのOKが出たのだ。

「分った、広大に進学してみせるよ。」

私は何の根拠もなく安請け合いしてしまった。大学受験戦争の厳しさなどそのかけらも知らず、野球をしたいばかりに気合で約束したのである。

胸を高鳴らせて野球部の部室に直行した。硬式野球のある高校生活は私の青春になった。授業中にも、縫目がほつれた練習ボールを縫う作業をする、野球一色の日々を過ごすことになる。親との約束などどこへ行ったのか、勉強など二の次になってしまうのである。

やがて当然にもつけがまわってきた。1学期が終わるころ、学習成績が見事に落下して行った。学年200人中で140番位になってしまったのである。

さあ、どうするのだ。野球少年よ、起ちあがれ。世の中をなめてはいけない、と初めて思い知ったのである。巻き返しを心底から誓った。

和服のよく似合う、小柄な母であった。筆者の高校時代を思い起こさせる映像である。

(青木忠)

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