因島にて… つかみかけた確信【15】

島とともに(2)
 地域(ローカル)の大切さに気付いたのは、因島にUターンしてからではなく東京での政治活動の最中であった。そのことは私の進歩であり、成長であった。
 私が関わった政治は、世界的・全国的な視点と能力をまずもって要求されるものであるが、それだけにとどまっているならば、その理論と活動はまったくの空論になってしまう。なにしろ、人間が現実に生活しているのは、個別の国、個別の地域、個別の家庭においてである。


 映画評論家・白井佳夫さんとの出会いと討論はとても刺激的であった。彼は自ら仕掛け人となった、大分県湯布院町での湯布院映画祭と徳島テレビ祭を例にあげて、地方の面白さを熱く説いた。すでに東京ではユニークなイベントができなくなっており、地方にその実現の可能性があると強調するのである。さらに東京もひとつのローカルに過ぎないと指摘した。
 同感であった。東京はふたつの顔がある。首都としての中央機能と生活の場としての東京(江戸)である。首都としての東京は無内容で空疎であるが、ローカルとして東京を観察するととても興味がわいた。私などは浅草に入りびたり、その魅力にとりつかれた。
島に連れて帰った娘と息子は、目黒区目黒本町という古き良きローカルとしての東京に生まれ、赤ん坊時代を過ごした。家内は頼りにならない私に代わって家計を担い、会社に勤めに出ていた。見るに見かねて近所の人たちが子供の世話をやいてくれた。母親がやむをえず留守をするときなどは、あずかってくれて風呂に入れてくれた。今でも付き合いがつづいている。
 また子供ふたりがかかりつけであった近所の小児科の老先生から、娘を赤ん坊モデルにデビューさせてみないかと勧められたことがあった。私はおおいに乗り気であったのだが、「子供を使って金をかせぐとはなんだ」と、家内の逆鱗に触れてしまい、その話はご破算になってしまった。町内会もあり、祭りのときは神輿もでた。担ぎはしなかったが、寄付は出すことにしていた。夏の子供会による花火大会にも家族全員で参加した。
ふり返ってみれば、学生運動は地域との関わりの連続であった。始まりは、広島大学の本部キャンパスのあった広島市千田町である。警察機動隊との激闘を繰り返した東京・首都圏には、因縁の場所はたくさんある。米軍基地のある立川市、羽田空港周辺、国会・首相官邸付近、千葉県成田市。新宿、池袋、渋谷、銀座などの繁華街、御茶ノ水や神田などの学生街にも様々な思い出を残している。
 長期にわたる破防法裁判が始まるや裁判所のある霞ヶ関、また遠く沖縄県の那覇市、沖縄市などに入り浸たることになった。それぞれの地域にはそれぞれの風情やしきたりがあり、交流した地元の人からの影響を吸収しながら私は成長していった。
 生まれ故郷の島に定住することになって、不思議な意識上の逆転を発見した。東京在住中は島がふるさとであったが、いまや逆に東京をふるさととして懐かしがっている自分がいた。
 年に平均して三回くらい東京に出張するのだが、当時の思い出がジワッと蘇ってくる。最近、連続して新宿歌舞伎町界隈にホテルをとった。そこは、歴史上の事件になってしまったが、騒乱罪が発動された新宿闘争の現場である。時間的余裕があったので、JR新宿駅東口から出て、散策してみた。学生時代、新宿はあまり好きな場所でなかったせいか、落ち着いて歩いたことはなかった。
 因島という地域への私の強い関心の背後には、きっと学生時代からの様々な地域との関わりがあるのだろう。しかしここには、今までどの地域にも感じなかった特別なものがあると思った。それを解明し、整理していくのが本稿のテーマでもある。

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