父のアルバム【37】第五章 苦難を越えて

ひとりも子供を産んだ経験のない行に突然、5人の子供ができた。いくら気丈夫な行といえども戸惑ったに違いない。彼女を一番てこずらせたのは、最も「母」を必要としていた5歳の末っ子の私であった。

兄や姉と違って私は、母としての行を強く拒絶したのである。彼女は当時の私にとっては保育所で世話になる先生であって、決して母ではなかった。私にとっての母とは亡くなったといえ生母清子だったのである。

私の清子への想いは兄や姉と大きく異なっていた。彼女が結核療養中ということで私は、2歳から別居を余儀なくされていた。そばに私がいると病身に負担がかかるという理由だった。

5歳になり、保育所への入所を迎えてようやく生母との同居が叶うのである。しかし、それも束の間、清子はその年に他界するのである。母の愛情の温かみを知りかけた時期での永遠の別離であった。そうした私に新しい母を受け入れる心の準備などできるはずもなかった。

やはり衝突は起きた。ことあるごとに反抗的な私に業を煮やした行はついに実力行使にでた。私を押さえつけて、

「なんでお前は言うことがきけないのか。それならこうしてやる」と大声を出して、心得のある指圧で背中のツボを攻撃した。

あまりの痛さに泣きじゃくりながらあらん限りの力を振り絞ってバタバタと抵抗した。その時である。

「やめなさい」

一喝して父が私にのしかかる行を引き剥がしたのである。

その瞬間、私は行に向って叫んだ。

「帰れ、帰れ、帰れ」

「・・・・・・・・」

憤然として行は一声も発することなく、足早に玄関から出ていった。歩いて5分くらいの距離の自分の家に帰ってしまったのである。

5歳の子供である。まさか本当に行が帰ってしまうとは思ってもみなかった。すっかり意気消沈してしまった。やがて父に説得され、父に付き添われて夜道をとぼとぼと行のもとに向った。

私は戻ってきてほしいと自分の言葉で頼んだ。彼女も笑顔で応えてくれた。初めて交した母と子らしい会話になったのである。

激しくぶつかり合うことによって、ふたりの間に大きな変化が起きた。私は行の子になり、行は私の母になった。私は明らかに成長した。子供なりに抱え込んだストレスの全てを行にぶつけることによって、生母の死を乗り越えることができたのである。

戦後間もない昭和21年からおよそ10年間を過ごした椋浦町の校長住宅。古くなり、今では解体されている。

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