父のアルバム【35】第五章 苦難を越えて

父や行の「不幸」や「苦難」を私は想像したことがなかった。再婚して間もないふたりは、5歳の私には幸せに見えたし、希望に溢れているように思えた。それ以来、そのことを信じて疑わなかった。

子にとって父や母というものは絶えず強く、立派な存在なのである。その安心感のうえに反抗しつつも成長していったのである。

しかし、父親になり年齢を重ねた今となると、自らの父と母への見方が大きく変ってくるのである。父がアルバムに遺した、「不幸」とか「苦難」という言葉がずっしりとこたえるのである。

父が行のことを知るのは、おそらく昭和22年のことであろう。その前年の12月に父は椋浦小学校に校長として赴任し、家族とともに移り住む。そして翌年、保育所設立を構想しながら幼児教育の準備を開始する。さらにその翌23年にミルク給食をはじめ、4月に幼児学級を開設するのである。

校長として父は、この幼児学級の世話を行(いく)に強く依頼し、自らのポケットマネーで謝礼を払うのである。よほど行の能力と実績に着目したに違いない。ついに昭和25年、行は主任保母になるのである。

この時期、行と父の家族との交流も深まる。行は病身の妻・清子に同情したのであろう、亡夫の看病の経験を活かし、家族への世話をやいたようだ。清子の日記に行が度々登場する。

二十三年七月五日
―今日長女が休みなので、何とかして呉れる。
朝青木さんが洗濯して下さる。有難い。
長女も助ったわけ。私の病状も順調。

七月一八日
―今日は三庄から町長、助役、町議の教育部の
方達が九人学級視察にみえる。青木さんが
お世話して下さって晝食が出る。ほんとに有難い。

七月二十日
―青木さんがおいしいオハギを下さる。感謝する。

八月二十五日
――次女やはり高熱。アスピリンの故か一寸
熱下がる。シップしてやる。
青木さんが親切に注射して下さるが熱がさがらない。

九月十一日
―PTAの役員会にて主人青木さんの所へ行く。
青木さんに色々と御迷惑をかけ申して相すまぬ。

(青木忠)

椋浦小学校と保育所の職員たち。前列右端が校長の父、左端が行。昭和25年の夏のことである。

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