父のアルバム【27】第四章 新しい出発

戦後まもなく産声をあげた保育所に情熱をかたむけた私の養母である松本行(ゆき、旧姓青木)は昭和29年9月、女性として初めて三庄保育所の専任所長に任命される。それからおよそ4年間、その職務を全うする。退職後は主婦業と農業に専念するのである。

ところで私は、5歳から育ててもらった養母の行についてほとんど知らない。生母についてわずかな記憶しか持たない私にとって母とは養母なのであるが、そうなのである。大学進学以来、同居することのなかった養母との会話が途絶えたことが大きな要因であるが、悔やまれてならない今日である。

父のアルバムの「行さんの面影」には助けられた。その4ページに、経歴「私の知り得た彼女の84年間」というタイトルがついたメモが貼り付けてあった。

明治34年3・1 山形県鶴岡市の梅津綱之の娘として生まれる。
明治40年代から 東京に父の職の関係で出て、小学校卒業後、実践女学校(下田歌子校長)入学。
大正9年11月 青木要太郎氏と結婚。
大正12年 キリスト教信者となる。
昭和時代 (株)大阪鉄工所因島工場へ入社。
昭和17年 退社し神戸へ。
昭和21年3月 夫要太郎氏と死別。
昭和23年5月 三庄町立椋浦保育所主任保母となる。
昭和25年10月 松本と再婚。
昭和28年9月 因島市立三庄保育所新園舎完成、初代所長となる。
昭和33年3月 退職、松本家主婦として農業に従事。
昭和55年7月 脳を侵され倒れ、1年後大体回復。
昭和58年後半 老化と高齢で家の中にて寝たり、起きたりの状態となる。9月12日NHKテレビに姿を出す。
昭和60年1月8日 因島総合病院へ救急入院。以後86日間入院療養に務む。
昭和60年4月4日午后4時3分、満84歳にて死亡。4月6日葬儀。

メモに記された事項の大半は、私の知らないものである。息子として実に恥ずべきことである。このメモを残した父の心境はどのようなものであったか。

愛しつづけた伴侶への追慕の営みであることは言うまでもないことであろう。同時に家族の記憶を紡ぎ次世代に伝達したかったに違いないのである。

父の「行さんの面影」は際立って整理されている。誰が見ても容易に理解できるように構成されている。息子や娘たちに見られることを願っているかのようである。私は同居していたにもかかわらず、このアルバムがあることに気付かなかった。ところが、運命づけられていたのか、アルバムを発見し、見ることになったのである。

愛情と感謝の証としてしばらくの間、養母・行について書きたいと思う。果して私の想いは、時空を超えて彼女に届くであろうか。

椋浦保育所時代の青木行

(青木忠)

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