村上三郎左衛門義弘の末裔は因島にいないはずだ

広島市民球団東洋カープの25年ぶりセ・リーグ優勝にわくファンや記念セールなど話題にことかかない。オリンピックで勢いついたアスリートたちは4年後の東京オリンピックを目標に始動しているが明るいニュースばかりではない。北陸・北海道地方の豪雨、南シナ海の不安な情勢などあげれば切りがない。

泥棒を捕らえて縄をなっていては間に合わない。こんな年に日本最大の海賊の本拠地である芸予諸島(尾道・今治)を文化庁は日本遺産に認定した。「海賊」を文化遺産に―と首をかしげる人もいる。一見、穏やかに見える瀬戸内海だが大汐時には高低差が3メートル以上にもなる汐の満ち引きや最大10ノット(時速18キロメートル)の潮流があり海の難所でもあった。

因島(尾道市)▽能島(のしま、今治市)▽来島(くるしま、今治市)に本拠をおいた三家村上姓からなる。領内には「海城(うみじろ)」を築いた。因島村上氏は余崎城、美可崎城、長崎城、青木城など沿岸部に海城を築き、村上三家を名乗った。

文化庁から日本最大の海賊の本拠地であった芸予諸島(尾道・今治)が日本遺産に認定されたのは今年4月。

いまさら「海賊」といっても「わが先祖こそ村上三郎左衛門義弘の末裔だ」と名乗る御仁も因島だけで数人いらっしゃったが、現在は亡くなられ末裔を名乗る人はいなくなった。秀吉の海賊禁止令により三原城主小早川隆景の配下として山口県の大島へ一族は移ったから、村上義弘の末裔は因島にいないはずだ―と、歴史学者は結論づける。

なにしろ、村上水軍が海の航海の水先案内や戦乱で手柄をたて姿を現わしたのは南北朝時代でお城も「海城」で、海賊といっても、ある時は海上交通の安全だ、ある時は東寺の荘園だった弓削島に入る幕府の船団の警護したり、第一次木津川口の合戦には毛利輝元の軍に加勢して信長軍が兵糧攻めをしていた石山本願寺に送り込むことに成功するなど活躍した。

その一方で「札浦(ふだうら)」という海の関所を芸予諸島を基点として全盛期は九州までも勢力を拡大した。

(村上幹郎)

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