ガ島より夫に背負われ帰還せし戦友は墓前に長く動かず

大畑すみえ
 作者は尾道市向島町に在住である。いまは亡き夫君は、かつての太平洋戦争中に南太平洋・ソロモン諸島の一孤島のガダルカナル島において、連合軍と死闘を体験した数少ない帰還兵の一人である。その故人の墓前に、戦後数十年経って亡くなられたという訃報を聞き墓前にお参りしたのである。


 夫の生前に一、二度来宅されたことはあった。その度に「お前の背中に負われて日本の土を踏んだ、生命の恩人だ」「なんのなんの今思えばね、」と酒を酌み交わしながらの談笑をしていた情景が眼に浮かんで来る。
 いまこのようにして3分か5分か10分か、合掌をしたまま、夫の墓前から身動きもしない。南の孤島での生命のやりとり、敵弾と飢餓と病魔(マラリア)との戦いの日を思い浮かべ、戦友に背負われ一歩一歩と桟橋を渡ったときの回想に浸っているのだろう。
 「ガ島」とはガダルカナル島の略であるが、日本軍からの補給物資が敵の潜水艦にやられて届かずに、3万1千人の日本兵はまさに生きるに難しと言われ、「ガ島」は「餓島」であった。ガダルカナル島は南太平洋の端にあって、今地図で調べても小さい。この島の地形の重要性から見て飛行場の建設をした。
 この飛行場の占領をめぐって、昭和17年6月上陸から翌18年2月の8ヶ月間、(1日-7日)にかけて夜陰に乗じて撤退作戦を完了しており、当時は撤退と言わずに「転進」と言っていた。傷病者を含めて1万1千人余りが「ガ島」を脱出したといわれる。昭和史の記録によれば、ガ島をめぐる戦闘で日本軍の上陸兵力は3万1千4人中死者2万8百人とある。そのうち純戦死者は6千人、他は病気と餓死であったといわれる。

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