重松清作品に見る“家族”のあり方【5】

Ⅲで挙げた現代家族の問題を最も顕著に描いた作品が、『季節風・春』に収録されている『ツバメ記念日』である。

結婚前の娘に父が送った、昔を振り返る手紙として物語は進む。娘の由紀が生まれたばかりの頃、両親は共働きで仕事と子育てに追われていた。

仕事よりも子どものほうが大事に決まっているじゃない、と由紀は言うだろうか。仕事は代わりの人がいくらでもいるけど、親の代わりはいないんだから―それは確かに正しい。まったくもって正しい。正しすぎて腹が立ってしまうほど、とにかく正しい。でもな、と言い返しても、その次の言葉が見つからない。(重松清『季節風・春』文藝春秋・2010年)

当時(30年程前)の社会では、まだ”母親”が働ける環境が整っておらず、さらに核家族であった上、”母親”が働くことに賛成してくれない義母に娘を預けることもできないという状況の中で、母は半ば意地になって一人で全部完璧にこなそうとしていた。そんな中で子どものことを負担に感じてしまう情けなさと新しい仕事に携わるプレッシャーとで、両親とも心に余裕を無くしていた。その後、熱を出した娘の看病で母は大事な会議に出席できなくなったが、そのおかげで却って育児と仕事の両立を思い詰めなくなった。

ベンチの真ん中に由紀が座って、それを左右から挟んでパパとママが座る。なにをするというのでもない休日のひとときを、パパはいま、胸を張って、小さな声で、それが幸せってやつだよ。といおう。(重松清『季節風・春』文藝春秋・2010年)

“共働き”と”核家族”を題材に、家庭と仕事の狭間で揺れ動く親の悩みを取り上げるとともに、小さな、ささやかな幸せと、家族でいることの大切さを我々に教えてくれる作品である。

重松作品にはもう一つ特徴的な設定がある。それは、「田舎の実家に住む年老いた親と、都会に住む子ども家族」というものだ。この設定の物語の多くは、家庭を持つ年齢になった子どもが過去を回想しつつ、現在は離れて暮らす親のことを考えるという構成である。過去と現在、田舎と都会を対比していくことで、より親子の関係に深みを感じられる。

親離れ・子離れに話を広げると、ぼくは、自分自身は上京組でよかったな、と思っています。それは、否が応でも、親離れ・子離れをしなければいけなかったから。東京のような都会に生まれてしまったら、家を出る必然性が低くて一人暮らしを実現させるのはかえって難しいことかもしれないけど、上京によって、自分の環境を一からやり直す、リセットするということが、地方出身者には可能なんだ。(重松清『みんなのなやみ』理論社・2004年)

しかし、一方で鶴見氏との対談では「一度ふるさとを切り捨てて都会に出てきた人たちにとって、モデルにすべき家庭像・家族像というものがなくなってしまったんじゃないか(重松清・鶴見俊輔『ぼくはこう生きている君はどうか』潮出版社・2010年)」と少々批判的な見解を述べている。親離れ・子離れは、同時に子ども世代の”ふるさと離れ”でもある。田舎から出て行った子ども世代の次の子育ての場は都会であり、ここに核家族化進行の要因を垣間見ることができる。これこそまさに「過去の家族の崩壊」といえよう。

平成27年度広島県ことばの輝きコンクール優秀賞作品
「重松清作品に見る“家族”のあり方」
因島高校3年 林真央

[ PR ]瀬戸田で唯一の天然温泉

しまなみ海道生口島サイクリングロード沿いに建つ、島で唯一の天然温泉を持つゲストハウスです。

サンセットビーチの砂浜に面し、1,000坪の広大な敷地には、四季折々の花が咲き誇ります。部屋や温泉からは瀬戸内海に浮かぶ『ひょうたん島』と、美しい夕日を楽しめます。

素敵な旅のお手伝いができる日を楽しみにお待ちしています。

PRIVATE HOSTEL SETODA TARUMI ONSEN
瀬戸田垂水温泉
広島県尾道市瀬戸田町垂水58-1
☎ 0845-27-3137
チェックイン 16:00 〜 20:00
チェックアウト ~9:00