父のアルバム【18】第三章 教師の信念

日中戦争に関係する写真がもう一枚あった。戦勝を祝賀して児童や職員が地元の五柱神社に参詣したものである。小学校は武運長久を祈願し、住民の戦意高揚の役割を積極的に担ったのである。

その写真の両脇には「日支矛を交へて 太原に日章旗翻りて 五柱神社前にて」と記している。数本の幟が立ち、おかっぱ姿の女の子が大勢写っていて、境内に児童たちが溢れかえっているように見える。

「太原」とは日中戦争の戦場になった都市の名前である。

日本の北支方面軍と関東軍は1937年(昭和12)9月から11月にかけて太原市を攻め、占領した。

勤労奉仕活動の写真がアルバムに4枚もある。その1枚を今回掲載した。学校の近くの山に登り、たきぎを切り出したのではないか。体つきから判断して、参加しているのは、高等科の児童たちに思える。社会の働き手が次々と戦場に送られている時世である。高学年は頼りにされたのであろう。

この日の行事は、特別な奉仕活動だったようだ。掲載した写真の後部中央に幟が立っている。それには「紀元 二千六百年勤労奉仕」と大きく書き込まれている。

戦後育ちの私は「紀元二千六百年」と言われてもピンとこないのだが、当時は大変な記念の年であった。

明治政府は1872年(明治5)、「古事記」や「日本書記」の記述に基づき、神武天皇が即位した年を、西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年としたのである。そして昭和政府は、1940年(昭和15)が紀元2600年になるとして、国をあげての祝賀行事を行なった。

戦時下においても父が熱中したバレーボールの写真が6枚もある。すべて男女の大人たちが写っている。試合のものが二枚ある。ひとつは三庄小学校でのもの。もうひとつには、「昭和16・4 商船校にて」とある。

「三庄小、バレーボール全盛期 昭和16~17年」と書き込まれている写真に目がいった。23人の男女が、相撲の土俵を背景に記念写真におさまっている。

父は生前、「三庄小学校は相撲が盛んだった」と言って、当時の軍配を見せてくれたことがある。

学校あげての勤労奉仕活動での記念写真である。これには父は見当らない。

(青木忠)

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