父のアルバム【17】第三章 教師の信念

父が赴任したころの三庄小学校には初等科(義務教育6年)と高等科(2年)があった。初等科は戦後の小学校と同じ年齢で、高等科は戦後の中学1年と2年と同年齢のようである。

当時は、義務教育の初等科を卒業すると一般的には4つのコースがあった。一つは中学校(5年)に進む。男子のみ。二つは高等女学校(5年)。三つは高等科(2年)。四つは商船学校など専門的分野の実業学校(5年)。

当時の三庄小学校の職員数と児童数は次のようになる。

昭和 職員数 児童数
11年 18 825
12年 18 865
13年 18 883
14年 18 869
15年 不明 970
16年 不明 960
17年 不明 826
18年 不明 955
19年 不明 978
20年 不明 990

当時の三庄小学校は大規模校である。戦時下での学校運営には独特な苦労があったと容易に想像がつく。同時に児童たちは、大きな「戦力」だったのであろう。

戦時下のアルバムの写真を見ていて、印象に残った一枚がある。今回はそれを掲載した。写真説明に記したように「南京陥落」を記念したものである。写っているのは、出征遺族の児童たちと教職員である。左後に「南京陥落」を祝う幟が見てとれる。

日中戦争(支那事変)の初期の1937年(昭和12)12月13日、日本軍は中華民国の首都南京市を攻め、占領した。

写真上で児童数を数えると45人もいる。父や兄が戦死したのであろう。戦時の小学校では、そうした児童が次々と生まれたに違いないのである。

教員は出征遺族の子供たちをどのように慰め、励ましたのであろうか。

写真わきに「南京陥る 出征遺族 昭和十二年十二月」とある。最後列左から7番目が父である。

(青木忠)

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