時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【34】エピソードの裏

 閑話休題 本因坊秀策については重複をいとわず書簡や詩文などについて編集、読者のご迷惑を顧みず思いつくまま記してまいりました。五月五日は秀策が生まれた日ですので、書簡を休憩してエピソードの一端をのぞいてみましょう。


端午の節供生まれの碁聖本因坊秀策
 五月初めの午(うま)の日、または五月五日の節供は、菖蒲(しょうぶ)の節供とも云われます。尚武(しょうぶ)との語呂合わせから江戸時代に男子の武勇を祝う日となり、鯉の滝昇りにたとえて、男子の立身出世を祈る風習が生まれたそうです。
 因島石切風切宮の創始者故桒原八千夫先生の大叔父(おおおじ=祖父の弟)本因坊秀策は文政12年(1829)5月5日に生まれですから今から180年前のことです。幼名を虎次郎といい、母カメが妊娠中に悪阻(つわり)がひどかったが、碁盤の前に座ると胎児が静かになり、碁石を盤上に打ち下ろすと胎児も一緒に考え込んでいるようだった―と小伝に書き残されています。
 江戸時代の女子教訓書である「比賣鑑(ひめかがみ)」に妊婦は諸万端、身を慎むよう」と記されていますが、胎教という概念からすれば、秀策は母の胎内にあった胎児のころから囲碁の教えを受けていたことになるでしょう。近年になって超音波診断が普及され、胎児には外部の音が聞こえることがわかり聴覚は26週目にほぼ完成。おなかの赤ちゃんに静かな音楽を聴かせると、ゆったりする。大きな音にはピクッと震わせることは多くの妊婦が経験されています。だからといって、妊娠中に何をしたからといって胎児の頭がよくなったり、特別優秀になるということは考えられません。気分をリラックスするのはお母さんの問題ですから。
 その母が読んでくれる「小倉百人一首」を3歳のころには丸暗記していたということですから秀策の記憶力もすぐれていたのでしょう。母から手ほどきを受けた囲碁も6歳のころには近郷近在に敵なしといわれるほどの神童と注目されていました。
 縁あって6歳のとき、その才能に注目した尾道の豪商橋本吉兵衛竹下が三原城主浅野甲斐守忠敬公に推挙。9歳にして浅野家の家臣として江戸・本因坊丈和に入門。いま風にいえば、県の特待生としての囲碁留学です。さらに本因坊跡目となり前人未踏の御城碁十九連勝という偉業をうちたてました。残念ながら34歳という若さで早逝されましたが、生前の遺品やゆかりの品々は隣接の本因坊秀策囲碁記念館に寄託、一般公開されています。
(庚午一生)

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