父のアルバム【15】第三章 教師の信念
今なお父と私を繋いでいる一冊の書籍がある。それは、1984年(昭和59)に発刊された「ふるさと三庄」である。その冒頭には、「今のうちに、明治、大正の少年時代からの体験や記憶をまとめ、調べられることは調べておこう」と執筆者たちの想いが綴られている。
父は、戦時下の学校行事について寄稿し、さらに戦争末期の教師としての体験を語っている。
「戦時中の学校行事」の項目があり、その最初に、「戦時中の記録がないので当時三庄小学校に勤めておられた七区の松本隆雄先生に当時を思い起こして書いてもらった」と説明がある。父が記したのは以下の通りである。
(一)戦意を高める行事
- 出征兵士の見送り 入営、応召の兵士を毎回国防婦人会、学校児童、町の関係者等が日の丸の旗を持ち、軍歌を歌って波止場(四区、六区)で見送る。
- 武運長久祈願 毎月1日五柱神社へ全校児童、職員で参拝し祈願する。
- 大詔奉載日 昭和16年12月8日 大東亜戦争の大詔発布日を記念し毎月8日奉載日とし式を行なう。
(二)戦時下の訓練
- 学校への登下校 朝は部落の広場に集り二列縦隊で部落長が指揮して登校 下校は学年毎の集団で下校する。
- 体操に武道を課す。 教師の受講で高等科男子は柔道、剣道、女子はなぎなたの実技を課し毎週練習。
- 全校訓練時間の特設 毎日3校時後20分間素足軽装(男子は上半身裸)で行進を主にした団体訓練。
(三)武力増強への協力
- 満蒙開拓義勇軍を送り出す 高等二年の男子卒業生で体力がすぐれ、家庭事情等考慮し希望者を茨城県内が原訓練所を経て満州へ送り出す。毎年1名13名。
- 少年兵の募集 陸海軍が高等科卒業の男子の希望者を募り入隊させる。三庄小出身者より数名の戦死者があった。
- 学徒動員 中等学校生徒は18年頃より、大阪鉄工所、占部造船所へ、土生女学校は三庄の旋盤工場へ配置された。三庄小学校高等科2年は三庄工場の各職場へ配置される。週5日間担任教師が引率して入り8月終戦まで続く。
- 町の自給製塩所作り 現在農協三庄支所、保育所、市営住宅一帯は古い廃塩田地であった。その土地へ町の自給製塩工場を作るため、粘土を運び海水の流し場を作る作業に小学校4年の児童も毎日出て数ヶ月後に完成。
- 郵便物の配達 土生郵便局へ毎日受けに行き、午前中に各区へ仕分けして晝に各区へ持ち帰り配達していた。
(青木忠)
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