時代的背景を紡ぐ 本因坊秀策書簡【25】御城碁不はずみに候…(その4)

 秀策四度目の帰省は、これが最後になるのでは―という虫の知らせがあったのではないかと思われる話題が多く残されているのも不思議です。
 なかでも有名なのは、安芸国能美島生れの棋士、石谷広二(当時二段)に書き与えた「囲碁十訣」=写真。中国の晋の王積新が作った古来著名な格言で、秀策自身の対局に際しての戒めとした座右銘です。石谷は、秀策没後35年を経て明治30年に秀策の打ち碁百局を収録して刊行した「敲玉余韻」の巻頭に、この「囲碁十訣」を載せています。


 石谷という人物ですが、名誉九段瀬越憲作氏と同郷の広島市の南にあたる能美島の出身。文政元年(1817)生れというから秀策より11歳年長になります。しかし江戸に出て本因坊家に入門したのは、秀策よりも5年おくれて天保13年(1842)でした。明治9年には五段を免許されたが、彼は棋力よりも博奕の才にすぐれ、賽(さい)の目を自分の思いのままに出すことができたようです。
 それ故に、秀策から金を借りては賭場に出入りしていたようで、信頼されていませんでした。
 秀策の書簡の中からも石谷に対する不快を書き送った数通が見つかっていますが、なぜ秀策遺愛の格言を書き与えたのか同郷のよしみというほかは見当たりません。
 しかし、逆に石谷は年下でありながら本因坊跡目としての風格を備え包容力のある秀策に対してあまえていた節があります。そうしたことなどから秀策に対して尊敬と恩義を感じていながら秀策に迷惑をかけたことを後悔。秀策の死後は、彼の半生を秀策顕彰に捧げたともいうことができます。
 その第一は、秀策顕彰碑を計画すると東奔西走して浄財を集め三原城東方3キロにある糸崎神社境内に建立したのが慶応3年(1867)春四月。秀策没後5年後でした。当時としては短時日の竣工で、ことのほか喜んだ江戸・本因坊秀和は石谷広二に秀策の「策」を与え、広策と名乗らせました。石谷は明治39年88歳で亡くなっています。
(庚午一生)

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