2006年11月5日村上水軍99の謎今井豊 謎その14「仁平事件とは?」仁平3年(1153年)に起こった比叡山延暦寺と奈良興福寺との勢力争いから生じた事件です。 白河上皇呪咀事件で流罪に処せられた村上氏の宗清や為国なども勢力を回復して、院政の中で北面の武士として重要な地位を占めるようになって […]
2006年9月29日村上水軍99の謎今井豊 謎その13「村上氏はもともと貴族か武士か?」北面の武士でした。寛治年間(1089年)には右大臣源顕房の妹を妻に迎え、白河院の蔵人の地位にあり、昇殿まで許されていたが、白河上皇呪咀事件で配流され、武威が衰えてしまいました。
2006年9月29日村上水軍99の謎今井豊 謎その12「村上氏が伊予大島を地盤にするようになったきっかけは?」伊予の越智大島は、当時野島と呼ばれ、村上定国の祖父仲宗が足跡を残した所とされていました。『能島来島因島由来記』によると、仲宗は藤原純友の乱を平定した越智好方の子孫である河野親経とともに、伊予守・源頼義の命を受けて、伊予の […]
2006年8月23日村上水軍99の謎今井豊 謎その11「村上水軍(村上氏)の初代は誰?」村上氏の初代は村上仲宗という説が有力ですが、他説もあり諸説粉々です。これを機に、村上氏の初代をここで検証してみましょう。
2006年8月4日村上水軍99の謎今井豊 謎その10「村上氏の系図の信憑性は?【パート2】」【見解 その2】看板(象徴)説 歴史の中で、新しい勢力が勃興して強大な勢力と対抗しようとする時、新しい勢力の中心に、由緒正しい(血筋の良いとされる)人物を迎えて、それの下に集合した。 その一つの典型が、源平の合戦の時の源 […]
2006年8月1日村上水軍99の謎今井豊 謎その9「村上氏の系図の信憑性は?【パート1】」前回は、「村上水軍の系図」について紹介してきました。 しかし、”系図”というものは必ずといってよいくらいに天皇を先祖と仰いでいるし、武士の場合、清和天皇を先祖にしている場合が多い。そんなことがありえるのか? とわたし自身 […]
2006年7月8日村上水軍99の謎今井豊 謎その7「瀬戸内の風土と村上水軍の起こりには関係があるの?」前回では、村上水軍の発生が、芸予諸島の地理的条件、自然条件とどのように関係していたかをみてきました。 今回は、その芸予諸島を含む「瀬戸内海全体の風土」が、どのように村上水軍の起源に関係があったのかを中心にみてみましょう。
2006年6月28日村上水軍99の謎今井豊 謎その6「芸予諸島と村上水軍の起源には関係があるの?」村上水軍は、芸予諸島を根城にして、南北朝時代から室町・戦国時代を通して活躍しましたが、そもそも瀬戸内海のほぼ中央に位置する芸予諸島と、村上水軍の起源には関係があったのでしょうか? 実は、村上水軍が本拠地とした芸予諸島の地 […]
2006年5月31日村上水軍99の謎今井豊 謎その5「水軍と海賊はどう違うの?」水軍と呼び始めたのは、比較的最近のことで、昭和の初期になってからとされています。それまでは海賊と言っていましたが、海賊すなわち「海の盗賊」ですから、いくらなんでも「自分たちの先祖は盗賊だった」では良くないので、地元の郷土 […]
2006年4月25日村上水軍99の謎今井豊 謎その4「水軍の起こりは?【水先案内人篇】」村上水軍の歴史をたどると、村上水軍の名を歴史に遺した「厳島の合戦」での「海上の戦闘集団」としての活躍に代表されるように、「海の合戦」ばかりが強調されがちです。しかし平和な時には、海の水先案内、海上警護、海上貿易など、海の […]
2006年2月20日村上水軍99の謎今井豊 謎その3「水軍の起こりは?【海賊篇】」水軍の起源には、大きく分けて二つの流れがあります。一つは、自然発生したまさに海賊であり、もう一つは水先案内や海運業を営む集団です。今回は、水軍の起こり「海賊」の発生についてみてみましょう。
2006年1月19日村上水軍99の謎今井豊 謎その2「因島村上水軍とは?」平安時代末期の頃から瀬戸内海での物資の流通が盛んになり、それに従事していた小単位の武士集団が、武家社会の発達に伴って、水軍部隊として合併吸収しながら大集団を形成していきました。この中にあって因島本主治部法橋幸賀館は大塔宮 […]
2006年1月19日村上水軍99の謎今井豊 謎その1「村上水軍とは?」村上水軍は、芸予諸島を根城にして、南北朝時代から室町・戦国時代を通して活躍しました。特に、南北朝時代に南朝方に味方して戦った村上義弘は、「皇国史観」が一世を風靡した戦前において、南朝の忠臣として英雄視され、今日まで「村上 […]