謎その3「水軍の起こりは?【海賊篇】」

水軍の起源には、大きく分けて二つの流れがあります。一つは、自然発生したまさに海賊であり、もう一つは水先案内や海運業を営む集団です。今回は、水軍の起こり「海賊」の発生についてみてみましょう。


聖武天皇 海賊の発生は大変古く、奈良時代の記録に残っています。天平2(730)年に、
聖武天皇(写真左)みことのりにより、京および諸国の盗賊と海賊を追補する
とあり、少し時代が下がって平安時代の初期である承和5(838)年に、「山陽・南海道に海賊が横行し、国司に鎮撫させた」とあります。
海賊行為をするようになったのは、平安初期、貴族や寺社が荘園を広げ、沿岸や島まで囲い込んだため、魚介採取や塩作りで生活していた海人たちが、生活に困ったためです。海賊は、初めは餓えをしのぐために食料を奪いましたが、平安末期になると財貨まで狙い、凶悪になっていきました。
梶取ノ鼻(今治市波方町宮崎) 平安時代の史書『三代実録さんだいじつろく』には、
近来、伊予国宮崎村に海賊が群居し、掠奪りゃくだつが激しい、このために公私の航行が途絶えている。こういった海賊を捕らえるようにとの命令を、頻繁に出しているがいっこうに効果がなく、海賊行為が止まりそうにない。海賊たちはあちこちに登場して、追えば逃げ、取り締まりをゆるめるとすぐに集まってくる」と記されています。
ここに書かれている宮崎村は、梶取ノ鼻(写真右)のある今治市波方町宮崎で、史書に現れた最初の海賊の根拠地です。

関連リンク

聖武天皇 -Wikipedia

今治市波方町地区

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

謎その3「水軍の起こりは?【海賊篇】」”へ2件のコメント

  1. 向井 淳 より:

     1557(弘治3)年から十数年間、本拠地であったと聞く余埼城があった城山(向島町立花)を毎日見ています。
     村上水軍の当時の状況が気になり、たまに書物を読んだり、水軍城(因島)・水軍博物館(宮窪)を覗いたりしていましたが、五十歳を超えて更に興味が湧いてきました。
     先生のお話を伺える機会がご座いましたら、また、村上水軍に関する研修会・講演会をご存知でしたら、不躾なお願いではございますがお教えいただければ幸いです。

  2. 今井 豊 より:

    村上水軍に関心をお持ちいただきありがとうございます。来月6月30日(土)午後2時から午後4時まで、因島の水軍城で村上水軍について話をします。(尾道市企画部企画課主催)
    6月10日発行の尾道市の広報誌に詳しい内容が掲載されます。ぜひ、ご参加ください。

向井 淳 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA