謎その31 村上水軍は何故敗色濃い南朝方に味方したのか?

最大の理由は、これまでの記述でわかるように、隣国讃岐を治め北朝方の重鎮である細川氏の侵攻により伊予を蹂躙されたからである。細川氏と対抗していくために言わば「一時の方便」として南朝方に帰順したので、決して後醍醐天皇への忠節心から生じた訳ではない。実際、村上義弘と一緒に主君の河野通尭を支えた今岡通任は、その後北朝方に方向転換している。
もう一つの理由として「一所懸命」の言葉が生まれるほど徹底した農業重視策を執った鎌倉政権から水軍は軽視されていたことによる。交易や海上輸送を生業とした水軍は、南朝方に味方した悪党と呼ばれた商人層と似た存在であったからであろう。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

謎その31 村上水軍は何故敗色濃い南朝方に味方したのか?”へ1件のコメント

  1. 村上 正彦 より:

    僕は伊予の村上です、今井殿そなたは、我等村上家を愚弄するか 今の天皇陛下様は南朝方と知っての書き込みか

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