因島除虫菊の歴史を次代に伝えたい

村上安弘さん(除虫菊文化財研究家)

村上安弘さん 1926年(大正15)8月18日因島重井村(現尾道市因島重井町)生まれ。広島県修練農場(現広島県立農業技術大学校/庄原市七塚町)を卒業後、助手として学校へ残るが、終戦を機に帰郷。農家の後を継ぎ、42歳からは28年間、因島市議会議員を務めた。

歴史には幼少の頃から興味があり、かつて地域を白一色に覆うほど辺り一面に栽培されていた除虫菊に関する唯一の冊子『因島除虫菊の歴史』(平成17年発行/因島重井文化財協会、「因島除虫菊の碑建立記念誌」を改訂)を執筆・編集。

現在も因島文化財協会の会長として歴史・文化財研究の毎日。尾道市因島重井町在住、81歳。

「因島除虫菊の歴史」
平成17年発行/因島重井文化財協会、編集/村上安弘

因島除虫菊の歴史

因島除虫菊の歴史について、栽培の沿革と変遷、除虫菊試験地の沿革などに加え、島の百姓の手記などを詳しく記す、唯一の冊子。平成11年に発行した「因島除虫菊の碑建立記念誌」に、巻頭カラー写真と因島の除虫菊栽培の話を追記した。全64頁。

尾道市立因島図書館で閲覧することができます。
【お問い合わせ】尾道市因島文化財協会 TEL0845-25-0343(村上さん宅)

かつての除虫菊について教えてください。

一本松にある村上勘兵衛翁の頌徳碑除虫菊は今は、蚊取り線香の原料として主に使われていますが、最初は粉の殺虫剤用に栽培されていました。除虫菊栽培がこの地域で始まるまでは、まだ芋などが多く栽培されていて、除虫菊は儲かるかどうか不安だったようです。

それが昭和30年代には白いじゅうたんを敷き詰めたように、除虫菊の花が咲き乱れる美しい風景をつくり「白い花咲くロマンの島」と賞されるようにまでなった。今の60歳代以上の人なら、あの美しい風景とそこにあった労働の光景をしっかりと覚えていると思います。それは島に生きる農民たちの、労働の姿のあらわれでした。

そのことを顕彰し遺したのが、因島重井町の一本松にある村上勘兵衛翁の頌徳碑と、尾道市因島フラワーセンター前にある因島市の花・除虫菊の記念碑です。そしてその時それを記念してまとめたのが、この冊子です。

村上さんご自身のことについてきかせてください。

わたしは昭和18年に七塚原にあった修練農場を卒業しました。昭和20年に兵隊に行くまで、足かけ2年は学校に残り助手をしていました。なので農学校の生徒から先生と呼ばれていたんですよ(笑)。今その学校は大学に格上げされ農業技術大学校となりました。農業技術といえば昔はこの薬とその薬をどのように混ぜたら効き目のある農薬ができるといったようなことでした。農薬に関して今では例えば、ダニにはこの薬というように薬品会社が合成したものを勧めるだけです。

満19歳の時終戦して時代が変わりました。実家の因島へ帰り、農業を継ぎました。除虫菊栽培や柑橘栽培を主にやっていました。そして42歳の時、それまで消防団長をやっていたこともあって人柄を買われて議員に推され、その後28年間務めました。叙勲もいただきました。

文化財に興味をもったきっかけは?

それは自分の家が歴史のある家だったからです。妹が中学を卒業した頃、中島忠由先生という村上水軍を調べておられる先生がいて、たどっていくとわたしの家の墓に着いた。その先生の話によると、因島ではっきりと年代の分かっている墓はふたつしかないそうです。その一つが重井のわたしの家の墓です。もう一つは金蓮寺の中です。

それから自分で家紋を調べたり、村上家のことについて研究を重ね、60歳の頃には一冊の本ができていました。この地域の村上家・柏原家というのは、海賊をやめた人々が村を作ったその末裔です。わたしは村上家という自分の家のことについて調べてきましたが、ひとつのことを基準にしてそのものさしに当てはめると重井から日本・世界へと広がっていく。除虫菊の歴史もそうした広がりの中から興味を持ち、先の人に記録として残しておきたいという思いから調べてきました。

因島の除虫菊のこれからについて

因島フラワーセンター正面玄関前の記念碑この『因島除虫菊の歴史』という冊子を作ることによって除虫菊のことが人から人へと広がってゆけばいいなあと思います。

重井西港を見渡す村上富夫さん(現栽培者は息子さんの大出正彦さん)の除虫菊畑の景観は、残したい景観(文化的景観)として県からも指定されています。昔はもうけのためにたくさん植えていた除虫菊の花が、今は残したい景観としてみんなから愛されている。

現因島フラワーセンターの前身は広島県立農業試験場除虫菊試験地でした。そのフラワーセンター正面玄関前の記念碑には「風さやか ロマンの島の白い花」という句が書かれています。

時代の変化に伴い、ニーズの変化はあるものの、昔を懐かしむ気持ちを忘れなければ、きっと因島の除虫菊は残ると思います。

※村上安弘さんは、2012年(平成24)1月6日に、ご逝去されました。

筆者紹介

岡野八千穂
岡野八千穂しまなみ人びと発起人
18歳まで因島で育つ。三庄小、三庄中、因高、関学出身。大阪にて就職後、兵庫県立淡路景観園芸学校を卒業。28歳で因島に帰り、因島市役所広報担当の臨時職員に。趣味はダンスと畑作業。

★ダンス歴★ 3歳から18歳まで、平櫛バレエスクール因島教室(因島市民会館)に通う。体が強くなるようにと両親が始めさせてくれたおかげでダンスが大好きになる。16歳から2年間、金山幸美先生(因島三庄町)のモダンダンス教室にも通う。その後関西の大学でチアリーダー部に所属。20歳から5年間、泉克芳舞踊研究所(大阪谷町四丁目)にて泉克芳先生に師事。現在は、コミュニティダンススタジオStudio SHIP(因島三庄町)にて、ピラティスとバレエの普及に努めている。

★畑歴★ 小さいときの家族総出のハッサク詰みが原風景。因島フラワーセンターに勤務した経験を元に、因島の除虫菊を広める活動もしている。

2 thoughts on “因島除虫菊の歴史を次代に伝えたい

  1. 村山 猛 より:

    三重県の村山と申します。高校教師を長年務めてきました草笛太郎の異名でも親しまれています。高校教師の人気教師で大変生徒諸君達には愛され慕われてきました。庭の一角に真っ白な除虫菊を植えてみたいと願っています。あなた様たちの美しい歌のように益々、良い環境作りに情熱をささげています。宜しくお願い申し上げます。
    村山 猛 (草笛太郎)
    ***** 草笛太郎の草笛コンサートを! *****
         A leaf-flure player “Taro Kusabue’s Concert !!”
         草笛奏者 (Leaf=flute Player)
    草笛 太郎 (Taro Kusabue) 
      お問い合わせは  下記まで
    〒 514-2306 三重県津市安濃町曽根北浦屋敷
           高速道路 津インターから車で5分
           草笛奏者   草笛  太郎 (村山 猛 )
    TELL兼FAX 059-268-2621(自宅)
    携帯(portable telephone) 090-1827-3035
    『”おくれ(下さいの意), 家にな, 燦然(と輝く)珊瑚』(の様なあなたの綺麗な心を!)
       E-Mail  kusabue@ztv.ne.jp
       H.P.   http://www.ztv.ne.jp/kusabue/
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    E-Mail kusabue@ztv.ne.jp 5 min by car from Tsu-interchange
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  2. コメントありがとうございます。
    因島では4月下旬から5月中旬にかけて除虫菊の季節を迎えます。
    瀬戸内の青い海と除虫菊の白い花が織りなす、とても素敵な風景です。
    ぜひ一度お越しください。
    除虫菊の種・苗の問い合わせは下記へお願いいたします。
    「除虫菊を咲かそう会」
    <連絡・問合せ先>  FAX 0845-25-1236(大出さん)
    →住所・名前・欲しい種または苗の量を明記の上、ファックスにてお申し込みください。
    ※種・苗をわけてもらえます。
    ※苗は一鉢130円です。
    ☆ 苗は3月中旬までならOK
    ☆ 種はいつでもあるが、その年の種が採れるのは7月中旬~で、今年の種の方が発芽率は格段に良いです

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