ぜつぼうの濁点

作:原田宗典 絵:柚木沙弥郎(教育画劇)

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ぜつぼうの濁点

昔々あるところに言葉の世界がありまして、その真ん中に穏やかな「ひらがなの国」がありました。

ある日、その国の道端に「」という濁点のみがポツネンと置き去りにされていたのです。

実は自分はあの山の向こうの深い森に住む「ぜつぼう」に長年仕えた濁点でした。「」の字について忠実に職務を果たしてきたものの、年柄年中、もうダメだ、もうダメだと頭を抱えるあるじのことを間近に見るにつけ、気の毒に思わない日は無かったのです。

しかしながら、これがあるじの宿命なのだと自分に言いきかせること数百年。長らく連れ添ううちに、いつしかあるじがこうも不幸なのは他でもない濁点のせいではあるまいか、そう思うようになったのです。自分みたいな「」がついていなければあるじは「せつぼう」という悪くない言葉でいられたはずなのに。あるじを絶望させていたのはじつは自分の存在だったのだ。

自分さえ居なければ、自分さえ消えてしまえばと思い悩んだ挙句の果てに、濁点は、とうとう昨夜そのことをあるじの「ぜつぼう」に打ちあけて、どうか自分をその辺の町の道端にでも捨ててしまって下さいと涙ながらに頼み込んだのでした。

そんな濁点を拾ってやる者は一人も居らず、どれ程かの時間が流れた後、大きな「おせわ」の三文字が現れ、濁点をヒョイと「」に乗せ走り出し、丘の向こうの「」の沼の中へと放り込みました。

どろどろに濁った水の只中、「ああ、何という深い深い孤独なのだろう。しかし、この虚しさの中からあるじを救い出せたのだから、自分はそれを喜びとせねばなるまい。これでいいのだ。これで良かったのだ。」と濁点が自分に言い聞かせていたところ、その呟きは不意にプクリと泡をなし「きほう」の三文字となって水中にフワフワ漂いはじめました。

「さあ早く自分にくっ付け!」

言われるままに濁点があわてて「」の字にくっつくと、それは「きぼう」という言葉になって水面に浮かび上がるなり、パチンと弾けて大気に溶けて、あまねくこの世を満たしました。絶望の濁点はそんなふうにして希望の濁点となったのでした。


2006年秋、私たち読み聞かせグループのとっても楽しい仲間であり、本当に頼もしい同志であったお寺の和尚さんが亡くなりました。34歳という若さで。余りにも突然の事だったので、誰もが信じられない気持ちで一杯でした。今でさえ信じたくない私がいます。

同年8月にお寺の本堂が全焼するという火事があり、悲嘆に暮れた後、再建を志し、春には東京からお嫁さんが来ることも決まっていたというのに。

11月の終わりに脳出血で倒れ、それっきりでした。火事の後、亡くなるまでの三ヵ月余り、いつも彼が持ち歩き、読み語り、自分の心境を話すのに用いていた絵本が、この「ぜつぼうの濁点」でした。

まさに絶望のドン底から這い上がって希望を掴んだばかりだった彼の人生。何でそんな時に?何故、今彼は逝かなくてはならないの?私はどうしても納得出来なくて、神様がいるなら問い詰めたかった。人には寿命とか運命とかあるのかもしれないけど、こんな事ってありですか?何か意味があるのですか?こんな時期に?

この先一緒にやりたい事も一杯あった…。“表現者”としての溢れる才能。保育園や小学校の子供達に読み聞かせに行っても、いつも一番の人気者でした。中学生達は、彼に本を紹介して貰ったり、ユーモラスな人生を語るトークを楽しみにしていました。それなのに何故こんなに早く。悔しくて無念で眠れない夜を過ごした私。

でも、仲間の一人が言うのです。「あの火事直後の絶望の中で命を落とすよりも、希望に輝いたいい時に亡くなったというのはある意味救いじゃないの?」って 。そうですよね。そう思うしかないかも…。そして、素直に感謝しよう。出会えたことに。

ありがとう、君に出会えたこと。ありがとう、君がしてくれたこと。これからも私がしていくことの中で、もし君だったらどうするだろうかと、時々考えながら進んでみることにする。

「人は二度死ぬ」と聞いた事があります。一度目は、肉体が滅び事の死。二度目は他人から忘れられる事の死。ならば、彼には二度目の死は無いに等しい。皆、忘れないから。忘れられ無いから。

ぜつぼうの濁点

ぜつぼうの濁点

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原田 宗典 柚木 沙弥郎
教育画劇
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4 日本語ならではの言葉ワールド

【関連リンク】
作者の原田宗典さん公式ツイッター
絵本『ぜつぼうの濁点』を担当した教育画劇の編集者松田幸子さんにインタビュー
柚木沙弥郎 YUNOKI SAMIRO – 染色工芸作家柚木沙弥郎さんオフィシャルサイト
教育画劇

筆者紹介

橋本和子
橋本和子
こんにちは。はじめまして。橋本和子です。実にどこにでもある名前ですよね!? でも、いまの私には、とっておきの大切な名前。だって、『子』どもたちに『本』を渡す『橋』のような役割、その中には『和』がある-なんてすてきな語呂あわせでしょ!?

橋本和子さん似顔絵 私はしなまみ海道の生口島で『おはなしひろばポレポレ』というグループで読み聞かせをしています。毎月、保育園、幼稚園、図書館などで「おはなし会」をもち、絵本の読み聞かせ、紙芝居、手あそび、歌、おりがみなど、いろいろ取り入れて楽しくやっています。

小学校では“ゲストティーチャー”として、読み聞かせ&ブックトーク(本の紹介)の授業も行っています。中学生のためのグループ「読書ボランティア・スピカ」にも所属し、中学校の朝読やブックトーク授業にも関わっています。

日ごろ、島の子どもたちにいろいろな絵本や読みものを渡している私ですが、今回からこういう場を得て、大人のみなさんにも本を紹介させていただけることになり、嬉しくてドキドキしております。子どもから大人までみんなで楽しめる絵本や、大人が読んでも感動しちゃう児童文学、親子で語り合える本をたくさん取り上げていきます。

稚拙な文章ではありますが、読み聞かせのエピソードも交え、少しずつ書いていこうと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。

ぜつぼうの濁点”へ2件のコメント

  1. やっちー より:

    34歳で亡くなったお寺の和尚さん。
    きっときっと無念だったろうと思います。
    「ぜつぼう」を「きぼう」に変えてすすんでいってた様が、
    橋本さんの文章の中から手に取るように思い浮かびます。
    人の死について最近思うことは、「命」って聖火ランナーの炎のようなものかなって。
    死んでも「命」は必ず誰かに受け継がれるとそう思うのです。
    昨年わたしは一つの命の誕生に立ち会うことができました。
    単なる生まれ変わりというのではなく、これまでにわたしが直面した「死」から、わたし自身が感じ取った思いの数々が、「命」となって新しい赤ちゃんに触れる時、その命が知らずしらずのうちに伝わるのでは、とそう思うようになったのです。
    和尚さんの「命」はきっと橋本さん達メンバーの方々にきっと受け継がれていることと思います!
    どうかこれからも、和尚さんの分まで続けてがんばってください。
    毎号楽しみに読ませてもらっている読者より。

  2. おはる より:

    このページに感謝、みなさんに感謝します。
    読む機会をありがとうございました。
    ぜひ朗読を続けていってください。

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