謎その9「村上氏の系図の信憑性は?【パート1】」

前回は、「村上水軍の系図」について紹介してきました。
しかし、”系図”というものは必ずといってよいくらいに天皇を先祖と仰いでいるし、武士の場合、清和天皇を先祖にしている場合が多い。そんなことがありえるのか? とわたし自身、常々疑問に思っていました。
そこで今回は、「系図の信憑性」について自分なりの見解を述べてみたいと思います。


【見解 その1】系図はほぼ嘘である!
それぞれの氏に関していくつかの系図を並べてみると、ある「代」以前に関して食い違うことが多い。これは、いわゆる出世して財力もしくは名声を得た「功成った代」の人が、自分の出自が由緒正しいことを示すために、先祖を天皇家に結びつけるためにこじつけることにより生じている。
徳川家を例にとると、徳川家康公以降の系図は本当であるが、清和天皇に発祥して、徳川氏は清和源氏であるという系図は創られたもので虚偽である。
つまり系図を付き合わせてほぼ同じ人物が並ぶ以前は嘘であり創作であることが多い。
村上水軍では、因島の各地域に残る村上天皇を祖とする系図(前回の図2)に関して言えば、「師清」が実質的な初代ではないかという説もある。
系図が重要視されるのは、現代では考えられないくらい、その時代の人々が「出自がいい」ということを価値・評価にしたからである。
今からほんの数十年前まで、この思想(価値観)は根強く残っていて、「あの人は血筋がいい・悪い」と大人達がよく話題にしていたのを、わたしは子供ながらに覚えている。だから、成功すると躍起になって系図を作り、実は貴い身分の筋を引く者であると示したかったのだろう。
「氏・素性を重んじる価値観」は現代ではやや薄れてきているが、全く消失した訳ではない。ただ言えることは、現代でそれに代わったのが学歴だということであろう。

筆者紹介

今井豊
今井豊歯科医師、尾道市文化財保護委員
因島外浦町在住で、職業は歯科医師です。1997年ごろから趣味で、村上水軍の歴史を中心に、文化財・郷土史などの研究を重ね、現在は尾道市文化財保護委員をしています。

このコーナーでは、瀬戸内海のこの地域で約400年前に活躍した「村上水軍」の歴史について、身近な疑問に沿ってやさしく解説していきたいと思っています。

私はいつも「歴史を学ぶということは、ただ歴史を知るだけではなく、歴史を現代にいかに活かすかを考えることがとても大切なことであり、歴史はつくろうと思ってつくられるものではなく、今一生懸命やっていることが時を経て歴史となる」と考えています。これからも、常に研究をつづけていきたいと思います。

謎その9「村上氏の系図の信憑性は?【パート1】」”へ2件のコメント

  1. 因島のトラ より:

    何時の時代でも、権威付けがほしいものなんですね。
    人間とは、弱いものですから。

  2. 愛媛県人 より:

    今治の寺社などに残る古文書などにも村上氏(姓)差出しの物をよく見かけますが、村上水軍の子孫の方々と思って良いのでしょうか?

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